5代将軍綱吉の時代に幕政が安定し経済が発展すると、上方を中心に町人や有力百姓まで文化の担い手が広がりました。
井原西鶴の浮世草子、松尾芭蕉の俳諧、近松門左衛門の人形浄瑠璃が開花し、尾形光琳の装飾画や浮世絵も生まれます。
儒学では朱子学に加え陽明学・古学が展開し、和算・暦学・本草学など実証的な学問も発達しました。
元禄時代に東アジアの秩序と幕政が安定して経済がめざましく発展すると、富裕層のみならず一般の町人や地方の商人、有力百姓に至るまで多彩な文化の担い手が生まれました。この時期の文化を元禄文化と呼びます。
その特色は3つにまとめられます。第1に、鎖国状態の確立により外国の影響が少なくなり、日本独自の文化が成熟したこと。第2に、平和と安定の中で儒学のみならず天文学など科学的な分野も含めて学問が重視されたこと。第3に、文学・美術工芸・演劇などが広く受容された背景に、紙の生産・出版印刷技術・流通の発展があったことです。
井原西鶴は大坂の町人で、初め西山宗因に学んで談林俳諧で注目を集めましたが、やがて浮世草子と呼ばれる小説に転じました。現実の世相や風俗を背景に、人々が愛欲や金銭に執着しながら才覚で生き抜く姿を描き、文学に新しい世界を開きました。『好色一代男』『日本永代蔵』『世間胸算用』などが代表作です。
松尾芭蕉は伊賀の出身で、奇抜な趣向をねらう談林俳諧に対し、さび・かるみで示される閑寂の蕉風(正風)俳諧を確立しました。自然と人間を鋭くみつめ、『奥の細道』などのすぐれた紀行文を著しました。地方の農村部にも旅をする芭蕉の門人たちがおり、俳諧は広く普及しました。
武士の出身であった近松門左衛門は、現実の社会や歴史に題材を求め、義理と人情の板挟みに悩む人々の姿を、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本に描きました。作品には『曾根崎心中』など当時の世相に取材した世話物と、歴史的事柄を扱った時代物(『国性爺合戦』など)があります。近松の作品は竹本義太夫らによって語られ、その語りは義太夫節という独立した音曲に成長しました。
歌舞伎は、女歌舞伎や若衆歌舞伎が禁止された後、成人男性が演じる野郎歌舞伎だけとなりました。江戸・上方に常設の芝居小屋がおかれ、町人らも楽しみました。江戸では荒事を得意とする初代市川団十郎、上方では和事を得意とする坂田藤十郎、女形の代表とされる芳沢あやめらの名優が出ました。
井原西鶴:浮世草子(『好色一代男』『日本永代蔵』)
松尾芭蕉:蕉風俳諧(『奥の細道』)、さび・かるみ
近松門左衛門:人形浄瑠璃の脚本(『曾根崎心中』)、世話物・時代物
京都では、尾形光琳が俵屋宗達の装飾的な画法を取り入れて琳派をおこしました。光琳は『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』などの大作で知られ、すぐれた意匠の漆工芸でも名をはせました。
幕府や大名に仕えた狩野派が画壇の中心にあり、大和絵系統の土佐派から分かれた住吉派(住吉具慶父子)も幕府の御用絵師となりました。
江戸では、安房出身の菱川師宣が浮世絵を始め、美人・役者など都市の風俗を描きました。安価に入手できる版画として大きな人気を得ました。
京都の野々村仁清が上絵付法をもとに色絵を完成して京焼の祖となり、光琳の弟尾形乾山はこの流れをくんで装飾的な作品を残しました。有田焼の酒井田柿右衛門は色絵の技法を始めた先駆者です。
染物では、宮崎友禅が友禅染を始め、絹子や縮緬の生地に華やかな模様を表しました。庭園では趣向をこらした回遊式庭園がつくられ、水戸藩邸の後楽園や柳沢吉保の屋敷である六義園が現存しています。
尾形光琳:琳派、『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』
菱川師宣:浮世絵の祖、『見返り美人図』
野々村仁清:京焼の祖、色絵の完成
尾形乾山:光琳の弟、装飾的な陶器
宮崎友禅:友禅染
幕藩体制の安定とともに、儒学のもつ意義は増大しました。武士の生き方(武士道)に、戦闘員としての武の道だけではなく為政者としての徳性が求められるようになったからです。とくに朱子学の思想は大義名分論を基礎に、身分秩序を維持するための学問として幕府や藩に重んじられました。
山崎闇斎は神道を儒教流に解釈して垂加神道を説きました。林家は幕府の文教を担い、林鵞峰は編年体の国史『本朝通鑑』を完成させました。水戸藩主徳川光圀は多くの学者を集めて『大日本史』の編纂に着手しました。
朱子学に対し、中江藤樹や門人の熊沢蕃山は、明の王陽明が始めた陽明学を学び、知行合一の立場で現実を批判してその矛盾を改めようとしました。その革新性から幕府に警戒されました。
外来の儒学にあきたらず、孔子・孟子の古典に直接立ち返ろうとする古学派が、山鹿素行・伊藤仁斎らによって始められました。仁斎は京都堀川に古義堂を開き、『論語』などを原文に即してわかりやすく解釈しました。仁斎らの古学を受けた荻生徂徠は政治・経済にも関心を示し、『政談』で武士の土着が必要であると説いて、経世論に道を開きました。
朱子学:大義名分論、幕府・藩の公認学問。山崎闇斎(垂加神道)
陽明学:知行合一。中江藤樹・熊沢蕃山 → 革新的で幕府に警戒
古学:孔子・孟子の原典に立ち返る。山鹿素行・伊藤仁斎(古義堂)・荻生徂徠(経世論)
儒学の発達は合理的で実証的な考え方をほかの学問にも波及させました。本草学(博物学)では貝原益軒が『大和本草』を著し、農学では宮崎安貞が『農業全書』を著しました。
和算では関孝和が筆算代数式などですぐれた研究をおこない、『発微算法』を著しました。天文・暦学では渋川春海(安井算哲)が暦の誤差を修正して日本独自の暦である貞享暦をつくり、幕府は天文方を設けて渋川をこれに任じました。
新井白石は『読史余論』を著し、武家政権の推移を段階的に時代区分して独自の歴史観を展開しました。
国文学の研究もこの時代から始まりました。戸田茂睡は俗語を用いることの正当性を説き、『万葉集』を研究した契沖は文献学的な方法で古典研究を進め、『万葉代匠記』を著しました。北村季吟は『源氏物語』や『枕草子』を研究しました。これらの古典研究はのちの国学へと発展しました。
本草学:貝原益軒『大和本草』
和算:関孝和『発微算法』
暦学:渋川春海 → 貞享暦の制定、天文方の設置
歴史:新井白石『読史余論』、林鵞峰『本朝通鑑』、徳川光圀『大日本史』
国文学:契沖『万葉代匠記』 → のちの国学へ
元禄文化は、幕政の安定と経済の発展を背景に、上方の町人を中心として花開きました。儒学の興隆は幕藩体制を思想的に支え、古学や経世論はのちの改革の理論的基盤となります。国文学の研究は国学へと発展し、幕末の思想にも影響を与えました。
幕政の安定と経済発展を背景に、上方を中心に元禄文化が開花した。西鶴の浮世草子、芭蕉の俳諧、近松の浄瑠璃が文芸を革新し、光琳の琳派や師宣の浮世絵が美術を彩った。朱子学・陽明学・古学が展開し、和算・暦学・本草学など実証的学問も発達して近世の知的基盤が形成された。
Q1. 大坂の町人で、浮世草子と呼ばれる小説を書いた作家は誰か。
Q2. 松尾芭蕉が確立した俳諧の流派を何と呼ぶか。
Q3. 俵屋宗達の画法を取り入れ、装飾画の新しい流派を確立した画家は誰か。
Q4. 暦の誤差を修正し、日本独自の貞享暦をつくった人物は誰か。
Q5. 孔子・孟子の古典に直接立ち返ろうとする学派を何というか。
元禄文化の三大文芸について、作者・ジャンル・代表作をそれぞれ挙げよ。
1. 井原西鶴 ─ 浮世草子(小説) ─ 『好色一代男』『日本永代蔵』
2. 松尾芭蕉 ─ 蕉風俳諧 ─ 『奥の細道』
3. 近松門左衛門 ─ 人形浄瑠璃・歌舞伎の脚本 ─ 『曾根崎心中』(世話物)、『国性爺合戦』(時代物)
朱子学・陽明学・古学の三派について、それぞれの特色と幕藩体制との関係を述べよ。
朱子学は大義名分論を基礎に上下の身分秩序を重んじ、幕府や藩に体制維持の学問として公認された。陽明学は知行合一の立場で現実の矛盾を批判しようとする革新性をもち、中江藤樹・熊沢蕃山らが学んだが、その実践的な姿勢から幕府に警戒された。古学は山鹿素行・伊藤仁斎らが朱子学の観念性を批判し、孔子・孟子の原典に直接立ち返ることを主張した。荻生徂徠は古学をさらに発展させて政治・経済に関する経世論を展開し、のちの享保の改革など幕政の改革に理論的影響を与えた。