第9章 幕藩体制の成立と展開

幕藩社会の構造
─ 身分・村・町の仕組み

幕藩体制のもとで、武士を頂点とする身分秩序が形成され、百姓は村で、町人は城下町の町で、それぞれの共同体を運営しました。
村は年貢を納める基盤として幕藩体制を支え、城下町は政治・経済の中心として発展します。
身分ごとに居住地・職業・衣服などが区別される近世社会の構造を確認しましょう。

1身分と社会 ─ 武士・百姓・町人

武士 ─ 支配身分

武士は、政治・軍事・学問を独占しようとし、苗字・帯刀のほか様々な特権をもつ支配身分でした。武士は将軍を頂点に、大名・旗本・御家人などいくつもの階層から構成され、主人への忠誠や上下の別をきびしく強制されました。天皇家や公家、上層の僧侶・神職らも支配身分に位置づけられました。

百姓・町人 ─ 被支配身分

社会の大半を占める被支配身分は、農業を中心に従事する百姓、手工業に従事する職人、商業・金融・流通を担う商人を中心とする町人の3つがおもなものでした。このほか、僧侶・神職・修験者・陰陽師などの宗教者、医者・芸能者・日用(肉体労働者)など小さな身分集団が無数に存在しました。

かわた・非人

下位の身分とされたのがかわた(長吏)非人です。かわたは百姓や町人とは別に集落をつくり、農業や皮革の製造・わら細工などに従事しました。非人は番人・芸能・物乞いなどにたずさわりました。いずれも居住地や衣服・髪型などで区別され、差別の対象とされました。

ここが問われる: 近世の身分構成 列挙

支配身分:武士(将軍→大名→旗本・御家人)、天皇・公家・上層僧侶
被支配身分:百姓・町人(職人・商人)
周縁的身分:宗教者・医者・芸能者・日用など
かわた・非人:居住地・衣服などで区別され差別された

2村の構造 ─ 百姓の暮らしと自治

村の成立と運営

豊臣政権の兵農分離政策と検地によって、村は全国規模で直接支配されるようになりました。17世紀末には全国で6万3000余りもの村を数えるに至りました。

村は名主(庄屋・肝煎)組頭百姓代からなる村役人(村方三役)を中心に、本百姓によって運営されました。農業労働、入会地の利用、用水の管理、治安・防災などの仕事を共同で自治的に担い、経費は村入用として村民が共同で負担しました。

村請制と五人組

幕府や藩は村の自治に依存して年貢・諸役を割り当てて徴収しました。この仕組みを村請制と呼びます。また村民は数戸ずつ五人組に編成され、年貢の納入や犯罪の防止に連帯責任を負わされました。

百姓の負担

本百姓の負担の中心は年貢(本途物成)で、石高の40〜50%を米や貨幣で領主に納めました(四公六民・五公五民)。このほか小物成(山野河海の利用税)、国役(河川工事などの夫役)、伝馬役(公用交通への人足・馬の提供)などが課されました。

ここが問われる: 村の運営と百姓の負担 列挙

村方三役:名主(庄屋)・組頭・百姓代
村請制:村の自治に依存して年貢を徴収
五人組:連帯責任の組織
年貢率:石高の40〜50%(検見法・定免法)
田畑永代売買の禁止令(1643年)・分地制限令(1673年)で百姓の小経営を維持

3城下町と町の構造

城下町の形成

兵農分離政策によって武士は城下町への移住を強制され、商人や職人も営業の自由と地子免除の特権を得て定着しました。城下町は城郭を核とし、武家地・寺社地・町人地・かわた町村など、身分ごとに居住区域がはっきりと分けられました。

町の運営

町人地にはという共同体が多数存在しました。町には村と類似の自治組織があり、町屋敷をもつ家持の住民が町人として、名主(年寄)月行事などを中心に町法(町掟)にもとづいて運営しました。町人は百姓のような重い年貢負担を免れましたが、上下水道・道路・橋の整備、防火・防災・治安などの町人足役を負担しました。

町にはこのほか、地借・借家・店借・奉公人など多様な階層が居住しましたが、町の運営には参加できませんでした。

城下町はなぜ身分ごとに区画されたのか
兵農分離政策で武士を城下に集住させ、軍事力を集中
武家地・町人地・寺社地を分離 → 身分秩序を空間的に可視化
寺社地で宗教統制、町人地で商工業の管理を効率化
城下町が政治・経済・軍事の一体的拠点として機能
ここが問われる: 村と町の比較 比較

共通点:自治的な運営、掟(村掟・町掟)にもとづく秩序
相違点:村は年貢(米)を中心に負担、町は町人足役(夫役・貨幣)を負担
※どちらも本百姓・家持という正規構成員が運営に参加

4農業と新田開発

近世の農業は、1組の夫婦を中心とする小経営に特徴があり、狭い耕地に集中的な労働を投下して面積当たりの収穫量を多くする高度な技術を駆使しました。

17世紀初めから幕府や大名は大規模な治水・灌漑工事をおこない、商人の資力も利用して新田開発を進めました。その結果、18世紀初めまでに全国の耕地は約2倍に拡大し、年貢米の増収をもたらしました。

作物は米が最も主要でしたが、小麦・粟・蕎麦などの雑穀、麻・木綿などの衣料原料、蜜柑・茶・たばこなどの商品作物も地域の条件に応じて多様に生産されました。

5林業・漁業・手工業・鉱山業

林業と山の営み

良質な大木を抱える山地は幕府や藩の直轄支配とされ、木曽檜や秋田杉として有名になりました。入会地では肥料となる刈敷や、燃料である薪・炭が採集されました。

漁業

沿岸漁業や内水面での淡水漁業が発達し、先進的な網漁は上方の漁師によって全国に普及しました。干鰹・昆布は全国規模で流通し、干し鮑・いりこ・ふかひれは長崎から中国(清)へ輸出されました。

手工業

戦国時代末期に綿作が朝鮮から伝わると、木綿は庶民の衣料として普及しました。和紙は学問・文化の発達に貢献し、村々における手工業は百姓が農業の合間におこなう農間渡世として把握されました。

鉱山業

16世紀半ばから17世紀初めに、灰吹法という精錬技術により銀の産出量が著しく増大し、日本は世界有数の銀産出国となりました。17世紀後半には金・銀が減少し、代わって銅の産出量が増加しました。鉱山の掘削・測量・排水技術は治水や用水路の開削にも転用されました。

ここが問われる: 近世の諸産業 列挙

新田開発:18世紀初めに耕地が約2倍に拡大
木綿:戦国末期に朝鮮から伝来、庶民の衣料として普及
灰吹法:銀の精錬技術 → 日本が世界有数の銀産出国に
鉱山技術の転用:治水・灌漑工事に活用

6商業と初期豪商

近世初期に平和が実現し交通が安全になると、豊富な資金や船を所有する豪商が活躍しました。堺・京都・博多・長崎などを根拠地とし、朱印船貿易や地域間の価格差を利用して巨大な富を得ました。角倉了以・茶屋四郎次郎・末吉孫左衛門らが有名です。

しかし、鎖国により海外交易が制限され、国内の陸上・水上交通が整備されると初期豪商は急速に衰え、17世紀後半以降は三都や城下町を根拠地とする問屋が全国の商品流通を支配するようになりました。

7この記事のつながり

幕藩社会の身分秩序と村・町の自治は、幕藩体制の基盤です。村の年貢負担が幕府・藩の財政を支え、新田開発・手工業の発展が経済成長を促し、やがて貨幣経済の浸透による社会変動につながります。

  • ← 9-1 幕藩体制の成立:武家諸法度・参勤交代で確立した支配体制の社会的基盤
  • → 9-4 経済の発展:農業生産・手工業の成長が三都の繁栄と全国市場の形成へ
  • 村請制 → 百姓一揆:年貢負担の重さが幕藩体制動揺期の百姓一揆につながる

8まとめ

  • 武士は苗字・帯刀の特権をもつ支配身分。被支配身分は百姓・町人
  • 村は名主・組頭・百姓代(村方三役)のもと自治的に運営。村請制で年貢を徴収
  • 百姓の年貢は石高の40〜50%五人組で連帯責任を負う
  • 城下町は武家地・町人地・寺社地に区分。町は家持の町人が運営
  • 新田開発により18世紀初めに耕地が約2倍に拡大
  • 灰吹法で銀産出量が増大し、日本は世界有数の銀産出国に
この章を100字で要約すると

幕藩体制下で武士を頂点とする身分秩序が形成され、百姓は村請制で年貢を、町人は町人足役を負担した。城下町は身分ごとに区画され、新田開発で耕地は倍増した。灰吹法による銀産出や木綿の普及など諸産業が発展し、近世社会の経済基盤が整った。

9穴埋め・一問一答

Q1. 村の運営の中心となった名主・組頭・百姓代を総称して何というか。

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村役人(村方三役)。名主は庄屋・肝煎とも呼ばれる。

Q2. 幕府や藩が村の自治に依存して年貢を徴収する仕組みを何というか。

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村請制。村全体で年貢の納入責任を負った。

Q3. 1643年に出された、百姓の土地売買を禁じた法令を何というか。

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田畑永代売買の禁止令。百姓の小経営を安定させる目的。

Q4. 城下町で町人が年貢に代わって負担した役務を何というか。

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町人足役。上下水道・道路の整備、防火・防災・治安などの都市機能を支えた。

Q5. 銀の産出量を飛躍的に増大させた精錬技術を何というか。

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灰吹法。16世紀半ばに朝鮮から伝えられた。

10アウトプット演習

問1 A 基礎 比較

近世の村と町の共通点と相違点を、運営の仕組みと住民の負担の観点から述べよ。

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解答

共通点:どちらも名主を中心とする自治的な運営組織をもち、掟(村掟・町掟)にもとづいて秩序を維持した。正規構成員(本百姓・家持)が運営に参加した。
相違点:村では年貢(本途物成)として石高の40〜50%を米や貨幣で領主に納めたのに対し、町では年貢負担は軽く、代わりに上下水道・道路整備・防火などの都市機能を支える町人足役を負担した。

問2 B 標準 結果・影響

新田開発と鉱山業の技術革新との関連を述べよ。

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解答

鉱山で使われた鉄製の工具(たがね・のみ等)や、掘削・測量・排水などの技術は、治水や溜池・用水路の開削技術にそのまま転用された。その結果、河川敷や海岸部など大規模な耕地の開発が可能となり、新田開発を通じて農業生産の発展に大きく貢献した。