第6章 武家政権の成立

武士の社会
─ 惣領制と地頭の支配

鎌倉時代の武士は、惣領を中心とする一族の結合(惣領制)にもとづいて組織され、所領の分割相続がおこなわれていました。
地頭に任命された武士は現地で支配権を拡大し、荘園領主との紛争が各地で発生します。
地頭請や下地中分といった紛争解決の手段がとられましたが、結果的に地頭の在地領主としての性格が強まっていきました。

1武士の生活と館

鎌倉時代の武士は開発領主の系譜を引き、先祖以来の地に住みついて所領を拡大してきました。河川の近くの微高地を選んでをかまえ、周囲には堀・柵や土塁をめぐらしました。館の周辺には年貢や公事のかからない直営地(門田など)を設け、下人と呼ばれる従者や所領内の農民を使って耕作させました。

武士の生活は簡素で、武芸を身につけることが重視されました。つねに流鏑馬笠懸犬追物騎射三物)や巻狩などの訓練をおこないました。彼らの日常生活から生まれた「弓馬の道」と呼ばれる道徳は、武勇を重んじ、主人に対する献身や、一門の名誉を大切にすることを特徴とし、後世の武士道の起源となりました。

ここが問われる: 武士の生活と訓練 内容・特徴

:堀・柵・土塁をめぐらした簡素な建物。直営地(門田)で農業経営
騎射三物:流鏑馬・笠懸・犬追物。武芸訓練の中心
弓馬の道:武勇・献身・名誉を重んじる道徳 → 武士道の起源

2惣領制 ─ 武士の一族の結合

鎌倉時代の武士は、血縁によって一族が団結し、一族の長である惣領(家督)を中心に武士団を組織していました。惣領は氏神や祖先の祭祀をおこなう権利と義務をもち、一族の武士(庶子)を統率して軍役や番役をつとめました。

所領は女子もふくめて庶子にも分割相続させるのが一般的でした。このような武士の結合を惣領制といいます。鎌倉幕府の政治・軍事体制はこの惣領制にもとづいており、幕府への軍役も荘園領主への年貢の納入も、惣領が責任者となって庶子たちに割り当て、一括して奉仕しました。

当時の家族制度では女性の地位は比較的高く、相続の際も男性と同じく財産を分配され、女性が地頭になる例もみられました。結婚形態としては嫁入婚が一般的となっていました。

ここが問われる: 惣領制の仕組み 内容・特徴

惣領:一族の長。氏神の祭祀、庶子の統率、軍役の責任者
庶子:惣領以外の一族の武士。惣領を通じて幕府と結ばれる
分割相続:女子もふくめた分割。ただし後期には単独相続一期分(本人1代限り)に移行
※女性の地位は比較的高く、女性地頭も存在

3地頭の荘園侵略 ─ 地頭請と下地中分

承久の乱後、畿内・西国にも多くの地頭が任命され、東国出身の武士が各地に新たな所領をもつようになりました。地頭は現地に根をおろして支配権を拡大し、荘園領主との紛争がますます拡大しました。

地頭は年貢を横領したり、荘園領主の代官を追放したりすることもありました。荘園領主たちは幕府に訴えて地頭の不法をおさえようとしましたが、現地に根をおろした地頭の行動をおさえることは困難でした。

地頭請

紛争解決のために、荘園領主はやむを得ず荘園現地の管理いっさいを地頭に任せて、一定の年貢納入だけを請け負わせる地頭請の契約を結ぶことがありました。

下地中分

また、現地を地頭と折半し、相互の支配権を認めあう下地中分の取決めをおこなうこともありました。こうした地頭請や下地中分が進むことによって、地頭は現地を支配する在地領主としての性格をいっそう強めていきました

地頭はなぜ荘園を侵略できたのか
地頭は現地に住みつき、武力と農民との関係を背景に実力支配を進めた
荘園領主(京都の貴族・寺社)は遠隔地にいるため、地頭の横暴を直接おさえられない
幕府に訴えても、地頭の既得権を完全に否定することは困難
荘園領主は地頭請・下地中分で妥協 → 地頭の在地支配がさらに強化
ここが問われる: 地頭請と下地中分の違い 比較

地頭請:荘園の管理を地頭に一任し、一定額の年貢納入を請け負わせる契約
下地中分:荘園を地頭分と領家分に折半し、相互に干渉しない取決め
※いずれも荘園領主の譲歩であり、地頭の在地支配を強化する結果となった

4新補率法と新補地頭

承久の乱後に新たにおかれた地頭を新補地頭といいます。新補地頭の収入の基準として新補率法が定められました。その内容は、田畠11町ごとに1町ずつを地頭の収入とし、1段当たり5升の加徴米を徴収し、山野や河川からの収益の半分を得る、というものでした。

しかし、朝廷の権威がおとろえるなかで、地頭のなかには国衙や荘園領主におさめるべき年貢を横領したり、荘園領主の代官を追放したりする者があらわれました。こうした紛争が地頭請や下地中分につながっていきます。

ここが問われる: 新補率法の内容 内容・特徴

①田畠11町ごとに1町を地頭の収入とする
②1段当たり5升の加徴米を徴収
③山野・河川からの収益の半分を得る
※承久の乱後に新たに設置された新補地頭に適用

5この記事のつながり

鎌倉時代の武士社会は、惣領制にもとづく一族の団結と分割相続を特徴としていました。地頭の荘園侵略は、荘園制の変質を加速させ、やがて在地領主としての武士の成長が南北朝の動乱へとつながっていきます。

  • ← 6-1 鎌倉幕府の成立:守護・地頭の設置が武士の現地支配の出発点
  • 分割相続の繰り返し → 6-3 幕府の衰退:所領の細分化が御家人の困窮を招く
  • 地頭請・下地中分 → 荘園制の変質:荘園領主の現地支配権が失われていく
  • 惣領制の変容 → 南北朝の動乱:単独相続への移行が一族の分裂を生む

6まとめ

  • 武士はを拠点に農業を経営し、騎射三物(流鏑馬・笠懸・犬追物)で武芸を鍛えた
  • 惣領制のもと、惣領が一族を統率し、軍役や年貢の責任を負った
  • 所領は女子もふくめた分割相続が原則。女性の地位は比較的高かった
  • 承久の乱後、畿内・西国にも新補地頭が設置され、新補率法で収入基準が定められた
  • 地頭の荘園侵略に対し、地頭請下地中分で対処 → 地頭の在地支配が強化された
この章を100字で要約すると

鎌倉時代の武士は惣領制のもと一族が団結し、分割相続で所領を継承した。地頭に任命された武士は現地で支配権を拡大し、荘園領主との紛争から地頭請・下地中分がおこなわれ、在地領主としての武士の性格が強まった。

7穴埋め・一問一答

Q1. 鎌倉時代の武士の武芸訓練として重視された「騎射三物」とは何か。

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流鏑馬・笠懸・犬追物。いずれも馬上から弓を射る訓練。

Q2. 武士の一族の長として庶子を統率し、氏神の祭祀をおこなった者を何というか。

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惣領(そうりょう)。家督ともいう。惣領を中心とする武士の結合を惣領制という。

Q3. 荘園の管理を地頭に一任し、一定額の年貢納入を請け負わせる契約を何というか。

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地頭請(じとううけ)。荘園領主が地頭の横暴に対処するためにやむを得ずおこなった。

Q4. 荘園を地頭分と領家分に折半し、相互の支配権を認めあう取決めを何というか。

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下地中分(したじちゅうぶん)。地頭が荘園の半分を完全に支配することになった。

Q5. 承久の乱後に新たに設置された地頭の収入基準を定めた法を何というか。

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新補率法(しんぽりっぽう)。田畠11町に1町、1段当たり5升の加徴米などが基準。

8アウトプット演習

問1 A 基礎 内容・特徴

惣領制の仕組みと特徴を、惣領の役割・庶子との関係・相続制度に触れて説明せよ。

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解答

惣領制とは、惣領を中心とする武士の一族の結合のことである。惣領は一族の長として氏神や祖先の祭祀をおこない、庶子を統率して軍役や番役に当たった。幕府への軍役や荘園領主への年貢も惣領が庶子に割り当て、一括して奉仕した。所領は女子をふくむ庶子にも分割相続されたが、鎌倉後期には単独相続や一期分(本人1代限りの相続)への移行がみられた。

問2 B 標準 比較

地頭請と下地中分について、それぞれの仕組みを説明し、共通する背景と結果を述べよ。

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解答

【地頭請】荘園の管理いっさいを地頭に任せ、一定額の年貢納入だけを請け負わせる契約。
【下地中分】荘園を地頭分と領家分に折半し、相互の支配権を認めあう取決め。
【共通する背景】地頭が現地で年貢を横領するなど支配権を拡大し、荘園領主との紛争が激化したこと。荘園領主は幕府に訴えても地頭の行動を十分におさえられなかった。
【共通する結果】いずれも荘園領主の譲歩であり、地頭の在地領主としての性格が強まった。これにより荘園制は実質的に変質していった。