第18章 激動する世界と日本

冷戦の終結と日本社会の変容
─ 55年体制の崩壊から現代の課題へ

1989年に冷戦が終結し、東西対立の構造が崩壊しました。日本国内でも55年体制が崩壊し、不安定な連合政治の時代に入りました。
バブル経済の崩壊による長期不況、少子高齢化、環境問題など、現代日本は様々な課題に直面しています。

冷戦の終結

1970年代半ばに米ソ間で緊張緩和(デタント)が進みましたが、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻で対立が再燃しました(「新冷戦」)。しかし1985年にソ連でゴルバチョフが登場し、国内体制の立て直し(ペレストロイカ)を進めるとともに、対米関係の改善をはかりました。

1987年にINF全廃条約(中距離核戦力全廃条約)が締結され、1989年12月のマルタ島での米ソ首脳会談で「冷戦の終結」が宣言されました。東ヨーロッパ諸国は社会主義体制を放棄し(東欧革命)、ベルリンの壁が打ちこわされ、1990年に東西ドイツが統一されました。1991年末にはソ連が解体しました。

ここが問われる: 冷戦終結の流れ 時系列

1985年:ゴルバチョフ登場、ペレストロイカ開始
1987年:INF全廃条約
1989年:東欧革命、ベルリンの壁崩壊、マルタ会談で冷戦終結宣言
1990年:東西ドイツ統一
1991年:ソ連解体

55年体制の崩壊と政治の変動

1989年頃から、保守長期政権下での金権政治の実態が明らかになりました。リクルート事件(1989年)や佐川急便事件(1992年)、ゼネコン汚職事件など政治腐敗が相次ぎ、政官界と大企業の癒着が国民の激しい非難を浴びました。

1993(平成5)年に自民党が分裂し、総選挙で過半数割れの大敗を喫しました。日本新党の細川護熙を首相とする非自民8党派の連立政権が成立し、1955年以来38年ぶりに政権が交代して55年体制は崩壊しました。細川内閣は小選挙区比例代表並立制を導入する選挙制度改革を実施しました。

その後、自民党と日本社会党が提携し、これに新党さきがけが加わって、社会党の村山富市委員長を首相とする政権が成立しました。社会党は安保・自衛隊や消費税を容認するなど基本路線を大幅に変更しました。以後、不安定な連合政治が続くことになりました。

平成不況と国際貢献

1990年代に入り、バブル経済の崩壊による株価・地価の暴落(資産デフレ)で日本経済は深刻な不況に突入しました(平成不況)。不良債権を抱えた金融機関の経営が悪化し、1997年には北海道拓殖銀行や山一証券が破綻するなど、金融危機が発生しました。企業のリストラ(事業整理・人員削減)が進み、大量の失業者が発生しました。

冷戦終結後の1991年の湾岸戦争では、アメリカから「国際貢献」をせまられ、多額の資金援助をおこないました。1992年にPKO協力法(国連平和維持活動協力法)が成立し、カンボジアなどへの自衛隊の海外派遣が始まりました。

平成不況が長期化したのか
バブル期に値上がりを見込んで購入した土地・株式が不良資産化した
金融機関が不良債権を大量に抱え、経営が悪化した
企業のリストラで大量失業が発生し、消費が冷え込んだ
消費の低迷がさらに不況を長引かせる悪循環に陥った

21世紀の日本と現代の課題

2001(平成13)年に小泉純一郎内閣が成立し、「小さな政府」を目指す新自由主義的な政策のもとで不良債権処理や民営化・規制緩和を進めました。「失われた10年」と呼ばれた不況期を脱したかにみえましたが、福祉は後退し、所得格差・地域格差が広がりました。

2009年の総選挙で民主党が圧勝し政権交代が実現しましたが、政権は安定せず、2011年3月の東日本大震災への対応にも苦しみました。2012年末に政権は自民党に戻り、第2次安倍晋三内閣が成立しました。安倍政権はこれまでの憲法9条の解釈を大きく変更し、集団的自衛権を行使できるよう、2015年に安全保障関連法案を成立させました。また、金融緩和・財政出動・成長戦略からなる経済政策を進めました。

現代日本は少子高齢化による労働人口の減少と社会保障制度への影響、地球温暖化をはじめとする環境問題、2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みなど、様々な課題に直面しています。

ここが問われる: 現代日本の課題 整理

少子高齢化:労働人口の減少、社会保障制度の持続可能性
環境問題:京都議定書(1997年)、パリ協定(2015年)
国際貢献:PKO、ODA、SDGsへの取り組み
災害:阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)

この記事のつながり

冷戦の終結は国際秩序を一変させ、日本国内でも55年体制が崩壊して政治の流動化が進みました。バブル崩壊後の長期不況、少子高齢化、環境問題など、現代日本は新たな課題に向き合っています。

  • ← 18-1 経済大国への道:バブル経済の崩壊が平成不況の引き金となった
  • 冷戦終結 → 55年体制の崩壊:保革対立の基盤が失われ、政界再編が進んだ
  • 湾岸戦争 → PKO協力法:国際貢献のあり方が問われた
  • 平成不況 → 構造改革:小泉内閣の新自由主義的政策
  • 現代の課題:少子高齢化、環境問題、SDGsへの取り組み

まとめ

  • 1989年のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、1991年にソ連が解体した
  • 1993年に非自民連立政権が成立し、55年体制が崩壊した
  • 小選挙区比例代表並立制が導入された
  • バブル崩壊後の平成不況で金融危機が発生し、リストラが進んだ
  • PKO協力法で自衛隊の海外派遣が可能になった
  • 小泉内閣が構造改革を推進し、2009年に民主党への政権交代が実現した
  • 少子高齢化環境問題など現代日本は様々な課題に直面している
この節を100字で要約すると

1989年に冷戦が終結し、日本でも55年体制が崩壊して政治の流動化が進んだ。バブル崩壊後の長期不況の中、構造改革や国際貢献が模索された。少子高齢化・環境問題など、現代日本は新たな課題に直面している。

穴埋め・一問一答

Q1. 1989年に米ソ首脳が冷戦の終結を宣言した会談を何というか。

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マルタ会談。ゴルバチョフとブッシュ大統領がマルタ島で会談し、冷戦の終結を共同で宣言した。

Q2. 1993年に55年体制が崩壊した際に成立した、非自民連立政権の首相は誰か。

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細川護熙(日本新党)。日本共産党を除く非自民8党派の連立政権で、38年ぶりの政権交代だった。

Q3. 1992年に成立した、自衛隊の海外派遣を可能にした法律は何か。

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PKO協力法(国連平和維持活動協力法)。カンボジアでの停戦監視などに自衛隊が派遣された。

Q4. 細川内閣が導入した衆議院の新しい選挙制度は何か。

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小選挙区比例代表並立制。「政治改革」をとなえる細川内閣が1994年に実施した。

Q5. 2015年に国連サミットで採択された、持続可能な開発目標の略称は何か。

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SDGs(Sustainable Development Goals)。2030年までに持続可能でよりよい社会の実現を目指す17の目標が設定された。

アウトプット演習

問1 B 発展 論述

冷戦の終結が日本の政治に与えた影響について、55年体制の崩壊過程に着目して論述せよ。

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解答

55年体制は、自由主義を掲げる保守勢力と社会主義を志向する革新勢力の対立を基本構造としていた。1989年に冷戦が終結しソ連・東欧の社会主義体制が崩壊すると、社会主義をかかげる革新勢力は退潮を余儀なくされ、保革対立の基盤が失われた。同時にリクルート事件や佐川急便事件など政治腐敗が相次ぎ、国民の政治不信が高まった。1993年に自民党が分裂し総選挙で過半数を割ると、非自民連立政権が成立して55年体制は崩壊した。従来の保守と革新の対立は曖昧となり、小選挙区比例代表並立制の導入など政治改革が進められたが、不安定な連合政治の時代に入った。