第17章 高度成長の時代

経済復興から高度経済成長へ
─ 技術革新と大衆消費社会の光と影

朝鮮特需で活気を取り戻した日本経済は、技術革新と設備投資に牽引されて高度経済成長を実現しました。
1968年にはGNP世界第2位に達し、大衆消費社会が形成される一方で、公害や過疎・過密など深刻な社会問題も生まれました。

経済復興と産業政策

ドッジ・ラインによる不況下にあった日本経済は、1950年の朝鮮戦争で活気を取り戻しました。アメリカ軍による膨大な特需(武器・弾薬の製造、自動車・機械の修理など)が発生し、1951年には工業生産・実質国民総生産・個人消費が戦前水準を回復しました。

政府は積極的な産業政策を実施し、日本輸出銀行(1950年)や日本開発銀行(1951年)を設立しました。電力は民有民営形態の地域別9電力体制に再編成され、企業合理化促進法(1952年)で設備投資への税制優遇がとられました。

1956(昭和31)年の経済白書は「もはや戦後ではない」と記し、日本経済が復興から技術革新による成長へと舵を切ったことを宣言しました。日本は1952年にIMF、1955年にGATTに加盟し、国際経済体制に組み込まれていきました。

高度経済成長の展開

1955〜57年の「神武景気」を皮切りに、「岩戸景気」(1958〜61年)、「いざなぎ景気」(1966〜70年)と大型景気が続きました。1961年から1970年のあいだ、年平均10%をこえる成長をとげ、1968年には資本主義諸国の中でアメリカにつぐ世界第2位のGNP(国民総生産)を実現しました。

経済成長を牽引したのは民間企業による膨大な設備投資で、「投資が投資を呼ぶ」といわれました。鉄鋼・造船・自動車・電気機械・化学などの部門で海外の技術革新の成果を取り入れて設備が更新され、石油化学・合成繊維などの新産業も発展しました。終身雇用・年功序列・労使協調を特徴とする日本的経営が確立しました。

石炭から石油へのエネルギーの転換(エネルギー革命)が急速に進み、中東からの安価な原油の安定的な供給が高度経済成長を支える重要な条件となりました。

ここが問われる: 高度経済成長の要因 整理

設備投資:海外技術の導入による生産性向上
国内市場:個人所得の増加 → 消費拡大 → さらなる投資
安価な石油:エネルギー革命で中東原油に依存
固定相場制:1ドル=360円で輸出に有利
産業政策:政府主導の産業育成・自由貿易体制への参加

大衆消費社会の形成

高度経済成長期には、個人所得の増大と都市化の進展によって生活様式に著しい変化が生じ、大衆消費社会が形成されました。白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫は「三種の神器」と呼ばれ、急速に普及しました。1960年代後半からはカー(自動車)・カラーテレビ・クーラーの「3C」(新三種の神器)の普及率が上昇しました。

農村では大都市への人口流出が激しくなり、農業人口が減少して兼業農家が増加しました(「三ちゃん農業」)。大都市では住宅問題が深刻化し、郊外にニュータウンが建設されました。核家族化が進み、1世帯の家族構成は約5人から3.7人へと縮小しました。

1964(昭和39)年には東海道新幹線が開通し、同年に東京オリンピックが開催されました。1970(昭和45)年には大阪万博が開催され、経済・文化面での日本の発展を世界に示す国家的イベントとなりました。

ここが問われる: 三種の神器と3C 用語

三種の神器:白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫(1950年代後半〜)
3C(新三種の神器):カー(Car)・カラーテレビ(Color TV)・クーラー(Cooler)(1960年代後半〜)

高度経済成長のひずみ

高度経済成長が達成される一方で、深刻な社会問題が生み出されました。農山漁村では過疎化が進行し、大都市では過密が深刻な問題となりました。交通事故も急増して「交通戦争」と呼ばれ、毎年1万人前後の死者を数えるようになりました。

産業公害は特に深刻でした。水俣病・新潟水俣病・四日市ぜんそくイタイイタイ病四大公害訴訟が始まり、1973年までにいずれも被害者側の勝訴に終わりました。1967年に公害対策基本法が制定され、1971年には環境庁が発足しました。

大都市圏では革新自治体が成立し、1967年に美濃部亮吉が東京都知事に当選するなど、公害規制や福祉政策で成果をあげました。

高度経済成長は公害問題を深刻化させたのか
重化学工業のコンビナートが太平洋ベルト地帯に集中した
経済成長を優先したため、政府の公害対策は遅れた
企業が長期間垂れ流した汚染物質で環境が破壊された
四大公害訴訟・住民運動が広がり、公害対策基本法の制定・環境庁の発足へ

この記事のつながり

朝鮮特需から始まった経済復興は、技術革新と設備投資に牽引されて年平均10%超の高度経済成長へと発展しました。大衆消費社会の形成と同時に、公害・過疎過密など深刻な社会問題も生まれました。

  • ← 17-1 55年体制:所得倍増計画を掲げた池田内閣が高度経済成長を方向づけた
  • 特需 → 復興 → 高度成長:朝鮮特需で経済が回復し、技術革新で成長軌道に乗った
  • エネルギー革命:石炭から石油への転換が成長を支えたが、石油依存のリスクも
  • 高度成長のひずみ:四大公害訴訟、過疎過密、交通戦争
  • → 18-1:石油危機による高度成長の終焉と経済大国への道

まとめ

  • 朝鮮特需で経済が復興し、1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と記した
  • 技術革新設備投資に牽引され、年平均10%超の高度経済成長を実現した
  • 1968年にGNP世界第2位に到達した
  • 三種の神器3Cに象徴される大衆消費社会が形成された
  • エネルギー革命で石炭から石油へ転換し、安価な原油が成長を支えた
  • 四大公害訴訟が起こされ、公害対策基本法の制定・環境庁の発足に至った
  • 農山漁村の過疎化と大都市の過密が深刻な社会問題となった
この節を100字で要約すると

朝鮮特需で復興した日本経済は、技術革新と設備投資に牽引されて年平均10%超の高度成長を達成し、1968年にGNP世界第2位に到達した。大衆消費社会が形成される一方、公害・過疎過密など深刻な社会問題も生まれた。

穴埋め・一問一答

Q1. 1956年の経済白書に記された、日本経済の復興を象徴する有名な一節は何か。

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もはや戦後ではない」。復興から技術革新による経済成長への転換を宣言した。

Q2. 高度経済成長期の3つの大型景気の名称を時代順に答えよ。

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神武景気(1955〜57年)→ 岩戸景気(1958〜61年)→ いざなぎ景気(1966〜70年)。

Q3. 石炭から石油へのエネルギー源の転換を何というか。

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エネルギー革命。中東からの安価な原油供給が高度経済成長を支える重要な条件となった。

Q4. 四大公害訴訟の4つの公害病を答えよ。

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水俣病(熊本県)・新潟水俣病(阿賀野川流域)・四日市ぜんそく(三重県)・イタイイタイ病(富山県神通川流域)。1973年までにいずれも被害者側が勝訴した。

Q5. 1967年に制定された、大気汚染・水質汚濁など7種の公害を規制する法律は何か。

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公害対策基本法。1970年の同法改正を経て、翌1971年に環境庁が発足した。

アウトプット演習

問1 B 発展 論述

高度経済成長が国民生活や地域社会にもたらした変化について、プラス面とマイナス面の両方に着目して論述せよ。

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解答

高度経済成長により、個人所得が増大してテレビ・洗濯機・冷蔵庫などの耐久消費財が急速に普及し、大衆消費社会が形成された。新幹線・高速道路が整備されて交通が発達し、東京オリンピック・大阪万博は日本の発展を世界に示した。一方で、経済成長を優先したため公害対策は遅れ、水俣病・四日市ぜんそくなどの深刻な公害病が発生した。農山漁村では過疎化が進行して地域社会が崩壊し、大都市では過密・住宅不足・交通渋滞が問題化した。このように高度経済成長は国民生活を豊かにする一方で、環境破壊や地域格差など深刻なひずみを生み出した。