1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まり、戦争は長期化しました。
国家総動員法のもとで戦時体制が強まり、日独伊三国同盟を経て太平洋戦争に突入しました。
ミッドウェー海戦を転機に戦局は悪化し、原爆投下・ソ連参戦を経てポツダム宣言を受諾しました。
1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日中両軍の衝突事件が発生しました(盧溝橋事件)。第1次近衛文麿内閣は不拡大方針を変更し、兵力を増派しました。中国側も断固たる抗戦の姿勢をとったので、戦いは全面戦争に発展しました(日中戦争)。
9月には国民党と共産党が再び提携して(第2次国共合作)、抗日民族統一戦線を成立させました。日本軍は年末に国民政府の首都南京を占領しました。南京陥落の前後、日本軍は市内外で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民(婦女子を含む)および捕虜を殺害しました(南京事件)。国民政府は重慶に退いて抗戦を続けたため、日中戦争は長期戦となりました。
1938(昭和13)年1月、近衛首相は「国民政府を対手とせず」と声明し、国民政府との交渉の道をみずから断ちました。さらに同年末には「東亜新秩序」の建設を声明しました。
日中戦争が始まると、第1次近衛内閣は巨額の軍事予算を編成し、直接的な経済統制に踏みきりました。1938(昭和13)年4月には国家総動員法が制定され、政府は議会の承認なしに戦争遂行に必要な物資や労働力を動員する権限を得ました。
翌年には国民徴用令が制定され、国民を軍需工場に動員しました。生活必需品は品不足となり、1940(昭和15)年には砂糖・マッチなどの切符制が始まり、翌年には米の配給制が開始されました。ぜいたく品の製造・販売も禁止されました(七・七禁令)。
1938年:国家総動員法制定(物資・労働力の動員権限)
1939年:国民徴用令・価格等統制令
1940年:切符制開始、大政翼賛会発足、ぜいたく品禁止
1941年:米の配給制開始
1940(昭和15)年、近衛文麿は新体制運動の先頭に立ちました。立憲政友会・立憲民政党・社会大衆党などの諸政党は解散し、同年10月に大政翼賛会として結実しました。大政翼賛会は政党ではなく、部落会・町内会・隣組を下部組織とする官製の上意下達機関となりました。
第2次近衛内閣は1940年9月に北部仏印に進駐し、ほぼ同時に日独伊三国同盟を締結しました。これに対してアメリカは航空機用ガソリンや屑鉄の対日輸出禁止で対抗しました。1941(昭和16)年4月には日ソ中立条約を結びましたが、同年7月に南部仏印に進駐すると、アメリカは在米日本資産を凍結し、対日石油輸出を禁止しました。
日米交渉が行き詰まる中、11月26日にアメリカ側が提示したハル・ノートは、中国・仏印からの全面的無条件撤退、満洲国・汪兆銘政権の否認、日独伊三国同盟の実質的廃棄など厳しい内容でした。12月1日の御前会議で開戦が決定され、12月8日、日本陸軍がイギリス領マレー半島に上陸し、海軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃しました。太平洋戦争が開始されました。
緒戦の日本軍はマレー半島・シンガポール・フィリピン・インドネシアなど東南アジアから南太平洋にかけての広大な地域を制圧しました。しかし1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で主力空母4隻を失い、戦局は大きく転換しました。
日本は占領地で「大東亜共栄圏」の建設を掲げましたが、実際には軍事物資の調達を最優先する支配であり、住民の反感と抵抗がしだいに高まりました。
1943(昭和18)年末には文科系学生の徴兵猶予が停止されて学徒出陣が行われ、未婚の女性は女子挺身隊に組織されて軍需工場に配置されました。朝鮮では1943年に、台湾では1944年に徴兵制が施行されました。朝鮮では創氏改名が強制されるなど「皇民化」政策がとられました。また、労務動員として数十万人の朝鮮人が日本に送り出されるとともに、占領地域の中国人が日本本土などに強制連行され、鉱山や土木工事などで働かされました。さらに、戦地に設置された日本軍の「慰安施設」には、日本・朝鮮・中国などから女性が集められ、「慰安婦」として働かされました。
1944(昭和19)年7月、マリアナ諸島のサイパン島が陥落して絶対国防圏の一角が崩壊し、東条内閣は総辞職しました。本土空襲が激化し、1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲では一夜にして約10万人が焼死しました。4月にはアメリカ軍が沖縄本島に上陸し、住民を巻き込んだ激しい地上戦となりました。「集団自決」に追い込まれた人々も含めおびただしい数の犠牲者を出し、3ヵ月近い戦いの末にアメリカ軍が沖縄本島を占領しました(沖縄戦)。
アメリカは人類史上はじめて2発の原子爆弾を、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に投下しました。8月8日にはソ連が日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告し、満洲・朝鮮に一挙に侵入しました。陸軍はなおも本土決戦を主張しましたが、昭和天皇のいわゆる「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定され、8月14日、政府はこれを連合国に通告しました。8月15日、天皇がラジオを通じて国民にポツダム宣言の受諾を伝えました(玉音放送)。9月2日、降伏文書に署名して太平洋戦争は終了しました。
日中戦争の泥沼化から太平洋戦争へと拡大し、日本は未曾有の被害を受けて敗戦しました。敗戦後、連合国による占領と民主化改革が始まります。
盧溝橋事件から日中戦争が始まり、国家総動員法で戦時体制が強化された。三国同盟を経て太平洋戦争に突入したがミッドウェー海戦後に戦局は悪化し、原爆投下・ソ連参戦を経てポツダム宣言を受諾した。
Q1. 1937年に日中戦争の発端となった事件を何というか。
Q2. 1938年に制定された、政府に戦争遂行のための広範な動員権限を与えた法律は何か。
Q3. 太平洋戦争の戦局が大きく転換するきっかけとなった1942年の海戦を何というか。
Q4. 1940年に発足した、政党に代わる国民動員組織を何というか。
Q5. 日本が受諾した連合国の降伏勧告を何というか。
日中戦争が太平洋戦争に拡大した過程を、南進政策・日米関係の悪化に着目して論述せよ。
日中戦争の長期化で軍需物資が不足すると、石油・ゴムなど南方の資源を求める南進論が台頭した。1940年に日独伊三国同盟を締結し、北部仏印に進駐すると、アメリカは屑鉄・航空機用ガソリンの輸出を禁止した。1941年7月に南部仏印に進駐すると、アメリカは在米日本資産の凍結と石油輸出全面禁止で対抗した。日米交渉ではアメリカが中国・仏印からの全面的無条件撤退や満洲国の否認などを要求するハル・ノートを提示し、交渉は決裂した。12月8日、日本はマレー半島上陸と真珠湾攻撃で太平洋戦争を開始し、戦争は全世界に拡大した。