第13章 近代国家の展開

ワシントン体制
─ 国際協調と社会運動の勃興

ワシントン会議で四カ国条約・九カ国条約・海軍軍備制限条約が結ばれ、アジア・太平洋地域の新たな国際秩序が形成されました。
幣原喜重郎の協調外交のもと軍縮が進む一方、国内では社会運動が勃興し、普通選挙を求める運動が高まりました。
1925年には普通選挙法が成立しましたが、同時に治安維持法も制定されました。

ワシントン会議

第一次世界大戦後、アメリカは海軍軍備制限と太平洋・極東問題を審議するため、1921(大正10)年から翌年にかけてワシントン会議を開催しました。アメリカの主な目的は、米・英・日の建艦競争を終わらせて自国の財政負担を軽減するとともに、東アジアにおける日本の膨張を抑制することにありました。日本は加藤友三郎幣原喜重郎らを全権として派遣しました。

四カ国条約

まず米・英・日・仏の4カ国のあいだで四カ国条約が結ばれ、太平洋諸島の現状維持と紛争の話し合いによる解決が定められました。これにより日英同盟協約の終了が合意されました(1921年)。

九カ国条約

1922年、この4カ国に中国を含む主要国を加えて九カ国条約が結ばれ、中国の領土と主権の尊重、門戸開放・機会均等が約束されました。これにより日米間の石井・ランシング協定は廃棄されました。

海軍軍備制限条約

同年、米・英・日・仏・伊の5カ国のあいだにワシントン海軍軍備制限条約が結ばれ、主力艦の保有比率をアメリカ・イギリス各5、日本3、フランス・イタリア各1.67とし、10年間は代艦の建造を禁止しました。

条約名参加国内容
四カ国条約(1921年)米・英・日・仏太平洋の現状維持。日英同盟の終了
九カ国条約(1922年)米・英・日・仏ほか中国の主権尊重、門戸開放・機会均等
海軍軍備制限条約(1922年)米・英・日・仏・伊主力艦保有比率 5:5:3:1.67:1.67
ここが問われる: ワシントン会議の3条約 比較

四カ国条約:太平洋の現状維持 → 日英同盟の終了
九カ国条約:中国の主権尊重・門戸開放・機会均等
海軍軍備制限条約:主力艦の保有比率を制限(米英5:日本3)

協調外交と幣原外交

ワシントン会議で成立した一連の国際協定にもとづくアジア・太平洋地域の新しい国際秩序は、ワシントン体制と呼ばれました。原敬暗殺後に成立した立憲政友会の高橋是清内閣はこれを積極的に受け入れて協調外交の基礎をつくり、続く加藤友三郎・第2次山本権兵衛両内閣もこれを引き継ぎました。

1924(大正13)年に加藤高明内閣が成立すると、外務大臣幣原喜重郎のもとで幣原外交と呼ばれる協調政策が展開されました。幣原は英米に対し協調外交をおこない、中国に対しては内政不干渉の姿勢をとりましたが、経済権益は積極的に維持しました。

また、幣原は対ソ関係の改善にもつとめ、1925(大正14)年に日ソ基本条約を締結してソ連との国交を樹立しました。協調外交のもとで軍縮も進み、1921年には国家歳出の5割近かった軍事費が、1926(昭和元)年には3割を切るまでに減少しました。

社会運動の勃興

第一次世界大戦が総力戦として戦われたため、労働者の権利の拡張や国民の政治参加を求める声が世界的に高まりました。日本でもロシア革命・米騒動などをきっかけに社会運動が勃興しました。

労働運動

1912(大正元)年に鈴木文治が組織した友愛会は修養団体から労働組合の全国組織へと急速に発展し、1921(大正10)年に日本労働総同盟と改称しました。1920(大正9)年には第1回メーデーが開催されました。

農民運動

農村でも小作料の引き下げを求める小作争議が頻発し、1922(大正11)年には杉山元治郎賀川豊彦らによって日本農民組合が結成されました。

女性運動・部落解放運動

1920(大正9)年、平塚らいてう市川房枝らが新婦人協会を設立し、女性の政治参加を求める運動を展開しました。1922年には治安警察法第5条が改正され、女性も政治演説会に参加できるようになりました。

被差別部落の解放を目指す運動も本格化し、1922年に西光万吉らを中心に全国水平社が結成されました。

社会主義運動

ロシア革命の影響で共産主義の影響力が増大し、1922年に堺利彦山川均らによって日本共産党がコミンテルンの日本支部として非合法に結成されました。

ここが問われる: 大正期の社会運動 列挙

友愛会(1912年、鈴木文治)→ 日本労働総同盟(1921年)
日本農民組合(1922年、杉山元治郎・賀川豊彦)
新婦人協会(1920年、平塚らいてう・市川房枝)
全国水平社(1922年、西光万吉)
日本共産党(1922年、非合法に結成)

普通選挙法と治安維持法

男性普通選挙権の獲得を求める運動は1919〜20(大正8〜9)年にかけて大衆運動として盛り上がりました。1923(大正12)年9月1日には関東大震災がおこり、震災後の混乱のなかで朝鮮人や社会主義者に対する虐殺事件も発生しました。

震災への対応に追われていた第2次山本権兵衛内閣は、1923年12月に無政府主義者の青年難波大助が摂政裕仁親王(のちの昭和天皇)を狙撃するという虎の門事件がおこったため、責任をとって総辞職しました。

つづいて、元老は枢密院議長の清浦奎吾を首相に推薦しました。清浦が陸軍大臣と海軍大臣を除く全閣僚を貴族院から選出して超然内閣を組織すると、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は「第2次護憲運動」をおこし、総選挙で護憲三派が圧勝して清浦内閣は退陣しました。

こうして護憲三派による加藤高明内閣が成立し、第2次護憲運動が実を結びました。加藤内閣は1925(大正14)年に普通選挙法を成立させ、満25歳以上の男性すべてに選挙権を認めました(有権者は約4倍に増加)。

しかし同時に、国体の変革や私有財産制の否認を目的とする結社を禁じる治安維持法が制定され、社会主義運動への取り締まりが強化されました。

以後、1924年の加藤高明内閣から1932(昭和7)年の五・一五事件まで、立憲政友会と憲政会(のち立憲民政党)の二大政党の総裁が交代で内閣を組織する「憲政の常道」が約8年間続きました。

普通選挙法と治安維持法が同時に成立したのか
普通選挙の実現で有権者が大幅に増加する見通しとなった
社会主義運動や共産主義運動の拡大を政府が警戒した
選挙権の拡大と引き換えに思想・結社の取り締まり強化を図った

この記事のつながり

ワシントン会議で成立した国際協定にもとづくワシントン体制のもと、幣原外交による協調外交と軍縮が進みました。国内では社会運動が勃興し、普通選挙法の成立によって政党政治が本格化しましたが、治安維持法による取り締まりも強化されました。

  • ← 13-2 第一次世界大戦と日本:パリ講和会議からワシントン体制へ
  • ワシントン会議 → 協調外交:四カ国条約・九カ国条約が協調外交の基盤に
  • 社会運動の勃興 → 普通選挙法:大正デモクラシーの成果としての選挙権拡大
  • 普通選挙法・治安維持法 → 憲政の常道:二大政党制の成立と限界
  • → 14-1 近代産業の発展:産業革命から大戦景気・戦後恐慌へ

まとめ

  • ワシントン会議で四カ国条約・九カ国条約・海軍軍備制限条約が成立した
  • 四カ国条約により日英同盟が終了した
  • ワシントン体制のもとで幣原喜重郎協調外交が展開された
  • 友愛会日本労働総同盟日本農民組合全国水平社など社会運動が勃興した
  • 1925年に普通選挙法が成立し、満25歳以上の男性すべてに選挙権が認められた
  • 同時に治安維持法が制定され、社会主義運動への取り締まりが強化された
  • 1924年から約8年間、二大政党による「憲政の常道」が続いた
この節を100字で要約すると

ワシントン会議の諸条約でアジア・太平洋の国際秩序が形成され、幣原外交のもと協調路線がとられた。国内では社会運動が勃興し、普通選挙法と治安維持法が同時に成立して、二大政党制による憲政の常道が始まった。

穴埋め・一問一答

Q1. ワシントン会議で結ばれた3つの条約名を答えよ。

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四カ国条約九カ国条約ワシントン海軍軍備制限条約

Q2. 四カ国条約の結果、終了することになった同盟を答えよ。

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日英同盟(協約)。

Q3. 海軍軍備制限条約で定められた主力艦の保有比率を答えよ。

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アメリカ・イギリス各5、日本3、フランス・イタリア各1.67

Q4. 1922年に結成された被差別部落の解放を目指す全国組織の名称を答えよ。

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全国水平社。西光万吉らを中心に結成された。

Q5. 1925年に成立した普通選挙法の内容と、同時に制定された法律名を答えよ。

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普通選挙法:満25歳以上の男性すべてに選挙権。同時に治安維持法が制定された。

アウトプット演習

問1 A 基礎 説明

ワシントン体制の内容と、それにもとづく日本の協調外交について説明せよ。

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解答

1921〜22年のワシントン会議で、四カ国条約(太平洋の現状維持・日英同盟の終了)、九カ国条約(中国の主権尊重・門戸開放・機会均等)、海軍軍備制限条約(主力艦の保有比率制限)が成立し、アジア・太平洋地域の新しい国際秩序であるワシントン体制が形成された。日本はこれを積極的に受け入れ、幣原喜重郎外務大臣のもとで英米協調・対中不干渉を基調とする協調外交を展開し、日ソ基本条約の締結や軍縮を推進した。

問2 B 標準 論述

普通選挙法と治安維持法が同じ1925年に成立した背景と、それぞれの意義について論じよ。

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解答

大正デモクラシーの潮流のなか、男性普通選挙権の要求は大衆運動として盛り上がり、1924年に護憲三派内閣の加藤高明内閣が成立すると、1925年に普通選挙法が制定されて満25歳以上の男性すべてに選挙権が認められた。有権者は約4倍に増加し、政党政治の基盤が広がった。しかし政府は、ロシア革命の影響による共産主義運動の拡大を警戒し、選挙権拡大と引き換えに治安維持法を制定して、国体の変革や私有財産制の否認を目的とする結社を厳しく取り締まった。この二法の同時成立は、大正デモクラシーの成果と限界を象徴するものであった。