11代将軍徳川家斉の長い治世のもと、文化・文政期を中心に、江戸を中心とする町人文化が最盛期を迎えました。
滑稽本・人情本・読本が流行し、葛飾北斎・歌川広重の風景版画が広く普及します。
出版・教育・交通網の発達によって文化は全国各地に伝えられ、地方の豪農・豪商も文化の担い手となりました。
宝暦・天明期に多様に発展しはじめた文化は、寛政の改革によりいったん停滞しましたが、19世紀に入ると再び勢いを吹き返しました。11代将軍徳川家斉の約50年におよぶ治世のもと、文化・文政期を中心に天保の改革の頃までの時期の文化を化政文化と呼びます。
化政文化では、江戸をはじめとする三都の繁栄を背景として、民衆を基盤とする町人文化が最盛期を迎えました。都市の繁栄、商人や身分をこえた文人らの全国的な交流、出版・教育の普及、交通網の発達などによって、文化はさまざまな情報とともに全国各地に伝えられました。
18世紀末から表面化した幕藩体制の動揺を直視し、政治や社会を批判的にみて古い体制を変革する方法を模索する動きが現れました。海保青陵は『稽古談』で商売をいやしいものとする武士の見方を批判し、藩財政の再建は殖産興業によるべきと主張しました。本多利明は『経世秘策』で西洋諸国との交易や蝦夷地開発による富国策を説き、佐藤信淵は『経済要録』で産業の国営化と貿易を提唱しました。
農村復興の実践者としては、二宮尊徳(金次郎)が荒廃した農村を立て直す報徳仕法を各地で実施し、勤勉・分度・推譲の精神にもとづく農村再建を進めました。また大原幽学は下総で性学を説き、農民の道徳教育と農村の復興に取り組みました。
水戸学では、藩主徳川斉昭を中心に会沢安(正志斎)らが『新論』を著して尊王攘夷論を説き、幕末の思想や政治運動に大きな影響を与えました(後期水戸学)。
国学では、本居宣長の死後、平田篤胤による復古神道が盛んになりました。篤胤の死後も弟子たちの手で、とくに中部地方や関東で武士や豪農・神職に広く浸透し、幕末期には現実の政治を動かす思想となりました。
幕府は天文方に蛮書和解御用を設け、洋書の翻訳を進めました。元オランダ通詞の志筑忠雄は『暦象新書』を著し、ニュートンの万有引力説やコペルニクスの地動説を紹介しました。佐原の商人伊能忠敬は幕府の命を受けて全国の沿岸を測量し、『大日本沿海輿地全図』の完成に道を開きました。
私塾も各地でつくられ、儒学者広瀬淡窓が豊後日田で開いた咸宜園、蘭学者緒方洪庵が大坂で開いた適塾(適々斎塾)、吉田松陰の叔父が長門萩に設立した松下村塾などが有名です。これらの私塾からは、幕末から明治初めに活躍する多くの人材が輩出しました。
咸宜園:広瀬淡窓が豊後日田で開設。儒学
適塾:緒方洪庵が大坂で開設。蘭学。福沢諭吉・大村益次郎らを輩出
松下村塾:長門萩。吉田松陰が継承し、幕末の志士を多数育成
鳴滝塾:シーボルトが長崎郊外で開設。高野長英らを育成
文化・文政期には、庶民の生活感情をいきいきと描いた絵入りの滑稽本が流行しました。式亭三馬は『浮世風呂』で銭湯を舞台に江戸庶民の日常を描き、十返舎一九は『東海道中膝栗毛』で弥次郎兵衛・喜多八の珍道中を描いて広く親しまれました。
恋愛ものを扱った人情本も庶民に受け入れられましたが、代表的作家である為永春水は天保の改革で処罰されました。
文章を主とする小説で歴史や伝説を題材にした読本は、江戸の曲亭馬琴(滝沢馬琴)が勧善懲悪・因果応報を盛り込む雄大な構想の作品を描いて評判を得ました。『南総里見八犬伝』はとくに有名です。
俳諧も広くいきわたり、各地で俳人を生みました。信濃の百姓小林一茶は村々に生きる民衆の生活をよみ、おびただしい作品を残しました。和歌では香川景樹らの桂園派が平明な歌風を始め、越後の禅僧良寛は暮らしに素材を求める独自な作品をつくりました。
滑稽本:式亭三馬『浮世風呂』・十返舎一九『東海道中膝栗毛』
人情本:為永春水(天保の改革で処罰)
読本:曲亭馬琴『南総里見八犬伝』
俳諧:小林一茶(信濃の百姓)
和歌:香川景樹(桂園派)・良寛
全国各地に名所が生まれ、民衆の旅が一般化するなかで、錦絵の風景画が流行しました。葛飾北斎は富士山を多様に描いた『富嶽三十六景』で知られ、歌川広重は東海道の宿場を描いた『東海道五十三次』などの風景画を制作し、安価で広く普及しました。これらの錦絵は開国後に海外にも紹介され、ヨーロッパの印象派画家たちに影響を与えました。
幕末期にかけて、歌川国芳らは世相や政治を批判する風刺画を制作しました。
円山派からわかれた呉春(松村月渓)が始めた四条派は、温雅な筆致で風景を描き、京の間宮らに歓迎されました。文人画は、豊後の田能村竹田、江戸の谷文晁とその門人渡辺崋山らの出現で全盛期を迎えました。
三都をはじめ多くの都市で常設の芝居小屋がにぎわい、盛場では見世物・曲芸・講談などの小屋が立ち、町人地でも多数の寄席が開かれるなど、都市の民衆を基盤とする芸能がさかんになりました。歌舞伎では7代目市川団十郎や尾上・沢村・中村らの人気役者が活躍し、鶴屋南北らすぐれた脚本作者が出ました。
葛飾北斎:『富嶽三十六景』。富士を多様に描く
歌川広重:『東海道五十三次』。風景版画。印象派に影響
歌川国芳:風刺画・武者絵
渡辺崋山:文人画の大成者の一人(蛮社の獄で処罰)
化政文化の大きな特色は、文化が地方にも広く普及したことです。全国各地の豪農・豪商のなかから多くの知識人・文化人が輩出し、漢詩・和歌・俳諧などの同好の会をつくって都市の文化人と交流しました。
各地で村芝居(地芝居)がおこなわれ、村の若者が歌舞伎をまねた芝居を祭礼の際に上演しました。越後の鈴木牧之は『北越雪譜』で雪国の自然や生活を紹介し、江戸で出版されて評判をよびました。菅江真澄は全国各地を旅して膨大な紀行文や随筆を著しました。
社会不安の高まりにともない、現世での利益を願う不動・地蔵・稲荷・庚申塚などへの信仰が広まりました。世俗化した仏教にかわるものとして、黒住教・金光教・天理教などの新しい民衆宗教がおこりました。
名所見物や物見遊山をかねた寺社参詣は、庶民のあこがれでした。伊勢参りはとくにさかんで、ときに多くの民衆が大挙して伊勢参りをする「御蔭参り」も流行しました。四国八十八か所や西国三十三か所への巡礼もさかんにおこなわれました。
化政文化は、三都の繁栄と交通網の発達を背景に庶民文化の最盛期を築きました。学問面では経世家の提言や後期水戸学の尊王攘夷論が幕末の思想に直結し、洋学の発展は近代化の基礎となりました。天保の改革による出版統制はこの文化への反動でもありました。
文化・文政期を中心に化政文化が花開き、滑稽本・読本・風景版画など庶民文化が最盛期を迎えた。経世家の提言や後期水戸学の尊王攘夷論が幕末の思想に直結し、洋学の発展と私塾の隆盛が近代を担う人材を輩出した。文化は地方にも広がり、民衆宗教や伊勢参りもさかんとなった。
Q1. 『東海道中膝栗毛』を著し、弥次郎兵衛・喜多八の珍道中を描いた作家は誰か。
Q2. 勧善懲悪・因果応報を盛り込んだ読本『南総里見八犬伝』の作者は誰か。
Q3. 富士山を多様に描いた『富嶽三十六景』で知られる浮世絵師は誰か。
Q4. 全国の沿岸を測量し、精密な日本地図の作成に道を開いた人物は誰か。
Q5. 蘭学者の緒方洪庵が大坂に開き、福沢諭吉らを輩出した私塾を何というか。
Q6. 本居宣長の死後、復古神道を説いて全国に広まった国学者は誰か。
Q7. 社会不安の高まりのなかで、19世紀前半に生まれた民衆宗教を3つ挙げよ。
元禄文化と化政文化を、担い手・中心地・文学の特色の観点から比較せよ。
元禄文化は上方(京都・大坂)の町人が中心的な担い手で、井原西鶴の浮世草子や近松門左衛門の人形浄瑠璃など、上方を舞台にした文学が栄えた。化政文化は江戸の町人が中心で、文化は出版・交通網の発達によって全国に広まり、地方の豪農・豪商も担い手となった点が大きな違いである。文学では、滑稽本(式亭三馬・十返舎一九)や読本(曲亭馬琴)が流行し、庶民の日常や旅を題材にした娯楽性の高い作品が特徴的であった。
化政文化の時期に洋学が発展した背景と、その発展が幕末にもたらした影響を論じよ。
洋学が発展した背景として、第一にロシアやイギリスの接近に対応するため幕府が天文・地理・軍事などの西洋知識の吸収に努めたこと、第二にシーボルトの鳴滝塾や緒方洪庵の適塾など私塾を通じて蘭学を学ぶ人材が増えたことが挙げられる。幕府は蛮書和解御用を設けて洋書の翻訳を進め、伊能忠敬の測量事業にも西洋天文学が応用された。この洋学の発展は、佐久間象山の「東洋道徳、西洋芸術」の思想や、雄藩の洋式軍事工業の導入につながり、日本の近代化を推進する基礎となった。