織豊政権の時代を安土・桃山時代と呼び、この時代を中心とする文化を桃山文化といいます。
天下人や大名の権威を示す壮大な城郭建築、金碧濃彩の障壁画、千利休の茶道など、豪華で世俗的な文化が花開きました。
さらにヨーロッパとの接触がもたらした南蛮文化や、朝鮮出兵を契機とした陶磁器の発展など、国際色豊かな文化でもあります。
桃山文化の特色は、武家の権力を結集した天下人や大名の威勢、あるいは戦争や貿易で大きな富を得た豪商の気風を反映した豪華さや壮大さにあります。
また、室町文化に比べると仏教色が薄れ、世俗的・人間中心的な色彩が強まりました。さらに、ヨーロッパとの接触やアジア各地との活発な交流、秀吉の朝鮮出兵の影響などもあって、多彩で国際的な性格をおびました。
秀吉は晩年に伏見城を居城としましたが、その跡地が江戸時代に桃の木が植えられて「桃山」と呼ばれるようになりました。ここから、織豊政権の時代の文化を桃山文化と称するようになったのです。
①豪壮華麗:天下人・大名・豪商の権威と富を反映
②仏教色の後退:世俗的・人間中心的な文化
③国際性:南蛮文化の流入、朝鮮文化の影響
※室町文化(東山文化の幽玄・簡素)との対比で問われやすい
桃山文化を象徴するのは城郭建築です。平野部に石垣と堀をめぐらした平山城や平城が築かれ、城主の居館・政庁となった城の中心には天守(天主)と呼ばれる高楼建築が建てられました。
天守のほか、大広間をもつ書院造の御殿がつくられ、城主が多くの臣下と対面して主従関係や身分の差を示す場となりました。城郭とともに営まれた城下町が巨大化したのもこの時代の特徴で、天守をもつ城はその中心にあって城主の権威を広く示しました。
代表的な城郭として、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大坂城・伏見城・聚楽第などがあります。現存する姫路城(兵庫県)は、関ヶ原の戦いののち城主となった池田輝政が大工事をおこし、1609年に竣工した壮大な平山城です。
①天守(天主):城の中心にそびえる高楼 → 城主の権威の象徴
②書院造の御殿:対面の場として主従関係を示す
③石垣・堀:平山城・平城の防御構造
④代表例:安土城(信長)、大坂城・聚楽第(秀吉)、姫路城(現存)
城や寺院の壁や襖には、花鳥・山水・獅子などを題材とし、金箔の上に青や緑の濃い絵の具で着色した金碧濃彩の障壁画が描かれました。
狩野永徳は雄大な作風で、安土城・大坂城・聚楽第の障壁画を描きました。代表作に『唐獅子図屏風』があります。その門人狩野山楽も秀吉や秀頼に仕え、装飾性をさらに高めました。
海北友松や長谷川等伯はそれぞれ近江・能登から京都に出て、水墨画に秀でましたが、金碧画でも狩野派に並ぶ絵師として知られました。長谷川等伯の『松林図屏風』は水墨画の傑作として名高く、智積院の『楓図』は金碧画の代表作です。
また屏風絵として、洛中洛外図・職人尽絵・祭礼図・南蛮屏風など風俗画が多く描かれました。都市の繁栄や人々の生活をいきいきと描いたものが特徴です。蒔絵をほどこした家具調度品や建物の飾り金具などにも装飾性の強い作品がつくられました。
狩野永徳:『唐獅子図屏風』。安土城・大坂城・聚楽第の障壁画
狩野山楽:永徳の門人。装飾性をさらに高める
長谷川等伯:『松林図屏風』(水墨画)、『楓図』(智積院、金碧画)
海北友松:水墨画に新境地を開く
※金碧濃彩の障壁画が桃山美術の最大の特徴
京都や堺などの富裕な町衆や武将たちのあいだでは茶の湯が流行しました。堺の商人である今井宗久・津田宗及・千利休は信長や秀吉に重用され、茶会でも中心的役割を担いました。
千利休は侘び(わび)の精神を追求し、茶道を確立させました。余分なものを極度にそぎ落とす美意識は、2畳敷の待庵(京都府、妙喜庵の茶室)にその精神がよく表れています。利休は唐人系の長次郎がつくる黒楽茶碗を高く評価しました。
秀吉は1587(天正15)年に北野大茶湯を開催し、黄金の茶室を組み立てて大勢の町人も参加させるなど、茶の湯を保護しました。茶の湯の流行とともに、茶器・茶室・庭園などにもすぐれたものが生まれ、華道や香道なども発達しました。
信長は名物茶器の所持と茶会の開催を許可制にして家臣を統制しました。茶の湯は単なる文化的趣味にとどまらず、政治的な意味をもっていたのです。
千利休:堺の商人。侘び茶を大成 → 茶道を確立
待庵:2畳敷の茶室(妙喜庵、京都府) → 侘びの精神の結晶
長次郎:黒楽茶碗をつくる。利休が高く評価
北野大茶湯:1587年、秀吉が開催。大規模な茶会
※侘び茶の簡素・静寂と、秀吉の豪華趣味(黄金の茶室)の対比に注目
秀吉が愛好して保護した能は、狂言とともに武家の儀式で用いられる式楽となりました。一方、庶民の娯楽としては、都市で風流踊りが盛んでした。
17世紀初めに京都では出雲の阿国が、異様な風体で目立とうとする「かぶき者」の姿で踊り、評判となりました(阿国歌舞伎、かぶき踊り)。その後、それを模倣した女芸人や遊女が演じる女歌舞伎が流行しました。
また、堺の高三隆達がうたいはじめた隆達節も流行し、中世以来の語り物である浄瑠璃に琉球から伝来した三味線を組み合わせた人形浄瑠璃も生まれました。
衣服は身分を問わず小袖が一般的になり、男性はその上に袴をはき、正装の際には肩衣を着けました。食事は朝夕2回から1日3回になり、公家や武士は米を常食としましたが、庶民はおもに雑穀を食べました。住居は、村では草葺屋根の平屋がふつうでしたが、京都などの都市では瓦屋根の2階建ても多くなりました。
能:武家の式楽。秀吉が保護
阿国歌舞伎:出雲の阿国が京都で始めたかぶき踊り → のちの歌舞伎の源流
人形浄瑠璃:浄瑠璃+三味線 → 江戸時代に大発展
隆達節:堺の高三隆達が始めた小歌
宣教師ら「南蛮人」によって、天文学・医学・地理学の知識や、油絵や銅版画の技法がもたらされました。パン・カステラ・カルタ・たばこなどの文物も伝わりました。これらを特に南蛮文化といいます。
イエズス会のヴァリニャーノは司祭や修道士の養成をはかり、初等教育学校(セミナリオ)を安土と肥前有馬に、高等教育学校(コレジオ)を豊後府内に設けました。
1582(天正10)年には、キリシタン大名の大村純忠・有馬晴信らにゆかりのある少年4人をヨーロッパへ送り、ローマ教皇に謁見させました(天正遣欧使節)。彼らはポルトガル・スペイン・イタリアで歓迎され、1590年に帰国しました。
さらに金属製の活字による活版印刷術が導入され、キリスト教の教義書や文学が翻訳されたほか、日本の古典や日本語辞書も出版されました(キリシタン版)。天草版『平家物語』や『日葡辞書』などは、日本語をポルトガル式のローマ字で表記しています。
文禄・慶長の役で西日本の諸大名が連行した朝鮮人陶工らが陶磁器の生産を始め、有田焼・薩摩焼・萩焼などが興りました。また、朝鮮から連行された姜沆(カンハン)と交流した藤原惺窩は、朱子学(儒学)の理解を深め、のちの儒学の発展につながりました。
天正遣欧使節(1582年):少年4人をヨーロッパへ派遣
セミナリオ:初等教育学校(安土・有馬)
コレジオ:高等教育学校(豊後府内)
キリシタン版:活版印刷術による出版物(天草版『平家物語』、『日葡辞書』)
南蛮屏風:南蛮人との交流を描いた屏風絵(約100点が知られている)
※パン・カステラ・カルタ・たばこ・眼鏡・時計なども南蛮文化
①朝鮮人陶工の連行 → 有田焼・薩摩焼・萩焼などの創始
②姜沆と藤原惺窩の交流 → 朱子学の発展の契機
③朝鮮から活字印刷術・書籍を持ち帰る
桃山文化は、戦国時代からの伝統を基盤に、天下人の権威と豪商の経済力、さらに南蛮文化の刺激が加わって成立した文化です。城郭建築や障壁画の豪壮さは寛永期の文化に受け継がれ、茶道・歌舞伎・陶磁器は江戸文化の源流となります。
桃山文化は天下人の威勢と豪商の富を反映した豪壮華麗な文化である。城郭建築と金碧障壁画が象徴で、千利休が侘び茶を大成した。南蛮文化の流入や朝鮮人陶工による陶磁器の創始など、国際色豊かな文化でもあった。
Q1. 安土城・大坂城・聚楽第の障壁画を描いた、桃山時代を代表する絵師は誰か。
Q2. 『松林図屏風』を描き、水墨画に新境地を開いた絵師は誰か。
Q3. 侘びの精神を追求し、茶道を確立した堺の商人は誰か。
Q4. 17世紀初めに京都でかぶき踊りを始め、歌舞伎の源流をつくった人物は誰か。
Q5. 1582年にヨーロッパへ派遣された少年使節を何というか。
Q6. 活版印刷術で出版されたキリスト教関連の出版物を何と総称するか。
Q7. 朝鮮出兵で連行された陶工らによって始められた焼き物を1つ挙げよ。
桃山文化の特色を、室町文化(東山文化)と比較して述べよ。
東山文化は足利義政のもとで成立し、書院造や枯山水の庭園、水墨画など、禅宗の影響を受けた幽玄・簡素な美意識が特徴であった。一方、桃山文化は天下人や大名の権威と豪商の経済力を反映した豪壮華麗な文化で、仏教色が薄れて世俗的・人間中心的な色彩が強まった。また、南蛮文化の流入など国際的な性格も桃山文化の特徴である。
桃山文化を代表する絵師を2人挙げ、それぞれの代表作と画風の特徴を述べよ。
①狩野永徳:代表作は『唐獅子図屏風』。金碧濃彩の障壁画を得意とし、雄大で力強い作風が特徴。安土城・大坂城・聚楽第の障壁画を手がけた。
②長谷川等伯:代表作は『松林図屏風』(水墨画)と智積院の『楓図』(金碧画)。能登出身で京都に出て活躍し、水墨画と金碧画の両方に秀でた。
南蛮文化がもたらしたものを、教育・出版・文物の3つの観点から具体的に述べよ。
教育:イエズス会のヴァリニャーノが初等教育学校であるセミナリオ(安土・有馬)と高等教育学校であるコレジオ(豊後府内)を設立し、司祭・修道士の養成をおこなった。
出版:金属製の活字による活版印刷術が導入され、キリシタン版として天草版『平家物語』や『日葡辞書』などが出版された。
文物:天文学・医学・地理学の知識、油絵や銅版画の技法が伝えられたほか、パン・カステラ・カルタ・たばこ・眼鏡・時計などの生活用品ももたらされた。