第7章 武家社会の成長

戦国大名の登場
─ 分国支配と城下町

応仁の乱に始まった戦国の争乱の中から、それぞれの地域に根をおろした実力ある支配者が台頭してきました。
戦国大名は分国法を制定し、検地や貫高制で領国を統治し、城下町を中心に領国経営を進めました。
自治都市の繁栄や楽市楽座の政策など、近世社会への橋渡しとなる動きが各地で生まれていきます。

1時代の見取り図 ─ いつ・何が起きたのか

戦国大名の登場(15世紀末〜16世紀半ば)

応仁の乱後の争乱
戦国大名の群雄割拠
織豊政権へ
14771490年代1550年代1560年代〜
おもなできごと
1493年明応の政変(細川氏が将軍を廃する)。北条早雲が伊豆を奪う
1532年法華一揆(京都の商工業者が自治運営)
1536年天文法華の乱(延暦寺が法華一揆を攻撃)
1543年鉄砲の伝来(種子島)
1549年キリスト教の伝来(フランシスコ・ザビエル)
1560年桶狭間の戦い(織田信長が今川義元を破る)

2戦国大名の出自と勢力

応仁の乱後の争乱の中から、それぞれの地域に根をおろした実力ある支配者が台頭してきました。これが戦国大名です。戦国時代には守護職のような古い権威だけでは通用しなくなり、実力で領国を支配する能力が求められました。

各地の戦国大名

関東では、京都からくだってきた北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆を奪って小田原を本拠とし、子の北条氏綱・孫の氏康の時には関東の大半を支配しました。越後では守護代の長尾景虎が主家の上杉氏をついで上杉謙信と名乗り、甲斐の武田信玄としばしば戦いました。

中国地方では有力守護の大内氏が家臣の陶氏に倒され、安芸の国人毛利元就がこれにかわりました。九州では島津氏大友氏が優勢で、四国では長宗我部氏が勢力を拡大しました。東北では伊達氏が有力大名に成長しました。

戦国大名の中には、守護代や国人から身をおこした者が少なくありません。今川氏武田氏のように守護出身の大名も、幕府の権威に頼ることなく実力で領国を支配していました。

ここが問われる: おもな戦国大名と出自 列挙

北条早雲(伊勢宗瑞):京都出身 → 関東を支配
上杉謙信:守護代の出身 → 越後を支配
武田信玄:守護出身 → 甲斐を本拠に信濃へ進出
毛利元就:国人出身 → 中国地方を制覇
※守護職の権威ではなく実力が支配の根拠

3分国支配の仕組み

分国法

戦国大名が実力で築きあげた支配領域を分国(領国)といいます。戦国大名は家臣団統制や領国支配のため、基本法である分国法(家法)を制定する者もありました。分国法には、家臣が私的に同盟を結ぶことや領地の勝手な売買を禁止し、喧嘩両成敗法(私闘の禁止)を定めるなど、家臣を統制するための規定が多くみられました。

家臣団の組織

戦国大名は、国人や地侍を有力な家臣にあずけて統率させる寄親・寄子制を採用しました。また槍や鉄砲による集団戦術の発達とともに、臨時の傭兵にすぎなかった足軽も常備軍に編入されるなど、家臣団の組織が拡大・強化されていきました。

貫高制と検地

戦国大名は、領国内の国人や地侍の収入額を銭に換算した貫高という基準で統一的に把握し、その地位・収入を保障するかわりに、貫高に見合った軍役を負担させました(貫高制)。また新たに征服した土地などで検地をおこない、農民の耕作する土地面積と年貢量を登録して、大名の農民に対する直接支配を強化しました。

戦国大名に分国法が必要だったのか
応仁の乱後、幕府法や守護法だけでは領国を統治できなくなる
家臣の私闘や勝手な同盟が頻発 → 大名権力が不安定化
喧嘩両成敗法で私闘を禁止し、紛争を大名の裁判に委ねさせる
大名による一元的な支配秩序を確立 → 領国の平和を実現

喧嘩両成敗法の目的は、報復の応酬や私闘の連鎖を断ち切り、すべての紛争を大名の裁判に委ねさせること(自力救済の否定)にありました。

ここが問われる: 戦国大名の支配の仕組み 列挙

分国法:領国統治の基本法。喧嘩両成敗法が特徴的
寄親・寄子制:国人・地侍を有力家臣に統率させる
貫高制:収入を銭(貫高)で統一把握 → 軍役負担の基準
検地:土地面積・年貢量を調査 → 農民への直接支配強化
※おもな分国法:今川仮名目録、甲州法度次第(信玄家法)など

4城下町と都市の発展

城下町の形成

戦国大名は城下に家臣のおもな者を集め、商工業者も集住させて、しだいに領国の政治・経済・文化の中心としての城下町を形成していきました。おもな城下町としては、北条氏の小田原、朝倉氏の一乗谷、大内氏の山口、大友氏の豊後府内、島津氏の鹿児島などがあります。

経済政策

戦国大名は堤防や灌漑用水路の建設で農業をさかんにし、金・銀の鉱山の開発に力をそそぎました。領国内の道路整備や関所の撤廃で交通の便をはかり、座の特権を廃止する楽市楽座の政策で商工業を保護しました。

自治都市

日明貿易の根拠地として栄えたは36人の会合衆(えごうしゅう)、博多は12人の年行司と呼ばれる豪商の合議によって市政が運営され、自治都市の性格を備えていました。

京都でも富裕な商工業者である町衆を中心に、自治的団体であるが生まれました。町はそれぞれ独自の町法を定め、町が集まって町組がつくられました。応仁の乱で焼かれた京都は町衆によって復興され、祇園祭も町衆の祭りとして再興されました。

浄土真宗の勢力が強い地域では、寺院や道場を中心に寺内町が建設されました。摂津の石山(大坂)、山城の山科、加賀の金沢、河内の富田林などが代表的です。

ここが問われる: 戦国時代の都市 列挙

城下町:小田原(北条)・一乗谷(朝倉)・山口(大内)など
自治都市(会合衆)・博多(年行司)
寺内町:石山(大坂)・富田林・金沢など
門前町:宇治・山田(伊勢神宮)など
楽市・楽座:座の特権を廃止して自由な商業取引を促進

5この記事のつながり

戦国大名の分国支配は、中世の守護大名制から近世の大名制への過渡期にあたります。検地・貫高制は豊臣秀吉の太閤検地へ、城下町は近世の城下町建設へ、楽市楽座は織田信長の経済政策へと発展していきます。

  • ← 7-2 幕府の衰退と庶民の台頭:応仁の乱後の下剋上が戦国大名の登場を促した
  • 分国法 → 近世の法制:喧嘩両成敗法は自力救済を否定し、近世の法秩序につながる
  • 貫高制・検地 → 太閤検地:戦国大名の検地が秀吉の全国的な検地の先駆け
  • 城下町・楽市楽座 → 織豊政権:信長の楽市楽座令や近世城下町建設の前提

6まとめ

  • 応仁の乱後の下剋上の風潮の中で戦国大名が各地に台頭
  • 守護代・国人出身者が多く、実力が支配の根拠
  • 分国法喧嘩両成敗法)で家臣を統制し、私闘を禁止
  • 寄親・寄子制で家臣団を組織し、貫高制で軍役を課す
  • 検地で農民への直接支配を強化。鉱山開発・治水で領国経済を振興
  • 城下町を形成し、楽市楽座で商工業を保護
  • 博多などの自治都市、寺内町門前町が繁栄
この章を100字で要約すると

応仁の乱後の下剋上の中で戦国大名が各地に台頭し、分国法・貫高制・検地で領国を統治した。喧嘩両成敗法で私闘を禁じ、寄親・寄子制で家臣団を組織。城下町を形成し楽市楽座で商工業を振興する一方、堺などの自治都市や寺内町も繁栄した。

7穴埋め・一問一答

Q1. 戦国大名が実力で築いた支配領域を何というか。その統治の基本法は何か。

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支配領域は分国(領国)。基本法は分国法(家法)。今川仮名目録・甲州法度次第などが有名。

Q2. 分国法にみられる、私闘を禁止し紛争を大名の裁判に委ねさせる規定を何というか。

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喧嘩両成敗法。自力救済を否定し、領国の平和を実現する目的。

Q3. 戦国大名が国人・地侍の収入を銭に換算して軍役を課す制度を何というか。

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貫高制(かんだかせい)。貫高に見合った軍役を負担させた。

Q4. 小田原を本拠に関東に勢力を広げた戦国大名は誰か。

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北条早雲(伊勢宗瑞)。子の氏綱・孫の氏康の時に関東の大半を支配。

Q5. 堺の市政を運営した豪商の合議体を何というか。

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会合衆(えごうしゅう)。36人の豪商の合議で自治的に市政を運営した。

Q6. 座の特権を廃止して自由な商業取引を促進する政策を何というか。

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楽市・楽座。戦国大名が商品流通を盛んにするために実施した。

Q7. 浄土真宗の寺院を中心に建設された都市を何というか。代表例を1つ挙げよ。

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寺内町(じないまち)。摂津の石山(大坂)、河内の富田林、加賀の金沢など。

8アウトプット演習

問1 A 基礎 列挙

戦国大名の分国支配の仕組みを、家臣統制・軍事制度・農民支配の3つの観点から説明せよ。

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解答

家臣統制:分国法を制定し、家臣が私的に同盟を結ぶことや領地の勝手な売買を禁止した。喧嘩両成敗法で私闘を禁じ、すべての紛争を大名の裁判に委ねさせた。
軍事制度:寄親・寄子制で国人や地侍を有力家臣にあずけて統率させ、貫高制により貫高に見合った軍役を課した。足軽も常備軍に編入した。
農民支配:検地をおこなって農民の耕作する土地面積と年貢量を登録し、大名の農民に対する直接支配を強化した。

問2 B 標準 比較

戦国大名の領国経営が、のちの織豊政権の政策にどのようにつながったか。検地と城下町の2つの観点から述べよ。

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解答

検地:戦国大名が領国内で実施した検地は、農民の耕作する土地と年貢量を把握して直接支配を強化するものであった。これが豊臣秀吉による全国的な太閤検地の先駆けとなり、石高制による統一的な土地制度の基盤をつくった。
城下町:戦国大名は城下に家臣や商工業者を集住させ、楽市楽座の政策で商業を振興した。この城下町の形成方式は、織田信長の安土城下や秀吉の大坂城下など、近世の城下町建設に直接受け継がれた。