鎌倉時代には、武士の質実な気風と宋・元文化の影響を受けて、新しい文化が生み出されました。
仏教では法然・親鸞・日蓮・一遍らが庶民にもわかりやすい教えを説き、栄西・道元が禅宗を伝えました。
建築・彫刻では大仏様や運慶の写実的な作品が生まれ、文学では軍記物語や新古今和歌集が花開きます。
鎌倉時代は、公家が伝統文化を受け継ぎながらも、武士や庶民に支持された新しい文化が生み出され、しだいに成長していった時代です。
新しい文化を生み出した背景の1つは、武士の素朴で質実な気風が文学や美術に影響を与えるようになったことで、もう1つは日中間を往来した僧侶・商人らによって南宋や元の文化がもたらされたことです。
天台の教学を学んだ法然は、もっぱら南無阿弥陀仏の念仏をとなえれば死後は平等に極楽浄土に往生できるという専修念仏の教えを説いて、のちに浄土宗の開祖と仰がれました。法然の教えは摂関家の九条兼実をはじめ公家から武士・庶民にまで広まりましたが、旧仏教側からの非難が高まり、法然は土佐(実際は讃岐)に流されました。
法然の弟子親鸞は越後に流されたのち関東の常陸に移り、煩悩の深い人間(悪人)こそが阿弥陀仏の救いの対象であるという悪人正機を説きました。その教えは農民や地方武士のあいだに広まり、浄土真宗(一向宗)と呼ばれる教団が形成されました。
一遍は、善人・悪人や信心の有無を問うことなくすべての人が救われるという念仏の教えを説き、念仏札を配り、踊念仏によって多くの人々に教えを広めながら各地を布教して歩きました。その教えは時宗と呼ばれ、地方の武士や庶民に受け入れられました。
日蓮は、法華経を根本経典とし、題目(南無妙法蓮華経)をとなえることで救われると説きました。他宗を激しく攻撃しながら国難の到来を予言するなどして布教を進めたため幕府から迫害を受けましたが、日蓮宗(法華宗)は関東の武士層や商工業者を中心に広まっていきました。
浄土宗:法然。専修念仏。著書『選択本願念仏集』。知恩院
浄土真宗:親鸞。悪人正機。著書『教行信証』。本願寺
時宗:一遍。踊念仏。遊行上人と呼ばれた。清浄光寺
日蓮宗:日蓮。題目(南無妙法蓮華経)。著書『立正安国論』。久遠寺
※共通点:ただ1つの行によって救われると説き、武士・庶民に門戸を開いた
禅宗は、坐禅によってみずからの力で悟りに近づくことを主張する教えです。12世紀末に宋に渡った栄西によって日本に伝えられ、公家や幕府有力者の帰依を受けて臨済宗の開祖と仰がれました。臨済宗は公案問答(師から与えられる問題を1つひとつ解決して悟りに達する)を重視しました。
幕府は臨済宗を重んじ、南宋から来日した蘭渓道隆・無学祖元ら多くの禅僧をまねいて、鎌倉に建長寺・円覚寺などの大寺院を建立しました。
道元は宋に渡ってさらに禅を学び、ただひたすら坐禅に徹すること(只管打坐)を説いて、越前に永平寺を開きました(曹洞宗)。弟子たちは旧来の信仰も取り入れて各地で布教を進め、曹洞宗は広く地方の武士や庶民に広まっていきました。
新仏教に刺激されて旧仏教側にも新たな動きがみられました。法相宗の貞慶や華厳宗の明恵は戒律を尊重して南都仏教の復興に力を注ぎました。律宗の叡尊と忍性は戒律を重んじるとともに、貧しい人々や病人の救済・治療、湊や橋の修理など社会事業にも力をつくしました。
また、神仏習合の考えが広まるとともに、伊勢外宮の神官度会家行によって、神を主として仏を従とする伊勢神道(度会神道)が形成されました。
臨済宗:栄西。公案問答で悟りに達する。幕府・上流武士の支持。建長寺・円覚寺
曹洞宗:道元。只管打坐(ひたすら坐禅)。地方武士・庶民に広まる。永平寺
※禅宗のきびしい修行が武士の気風にあっていた。海外文化の吸収の窓口にもなった
源平の争乱で焼失した東大寺の再建にあたって、重源が宋の工人の協力を得て導入したのが大仏様(天竺様)の建築様式です。大陸的な雄大さと力強さを特徴とし、東大寺南大門が代表的遺構です。
禅宗の寺院には禅宗様(唐様)が用いられました。細かな部材を組み合わせて整然とした美しさを表すのが特徴で、円覚寺舎利殿などに用いられました。
また、大陸伝来の新様式の構築法を、平安時代以来の日本的な和様に取り入れた折衷様も盛んになりました。
奈良の諸大寺の復興とともに、仏師の運慶・快慶らが、奈良時代以来の彫刻の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代の精神を生かした力強い写実性と豊かな人間味のある仏像や肖像彫刻をつくり出しました。東大寺南大門金剛力士像はその代表作です。
大仏様(天竺様):重源が導入。雄大で力強い。代表作=東大寺南大門
禅宗様(唐様):禅宗寺院の建築。整然とした美しさ。代表作=円覚寺舎利殿
折衷様:和様に大仏様・禅宗様の技法を取り入れた様式
※彫刻では運慶・快慶が写実的な作品を制作(東大寺南大門金剛力士像)
後鳥羽上皇の命で藤原定家・藤原家隆らが編纂した『新古今和歌集』は、技巧的な表現をこらしながらも観念的な美の境地を生み出しました。将軍源実朝も万葉調の歌をよみ、『金槐和歌集』を残しました。
随筆では、鴨長明の『方丈記』が人間も社会も転変するむなしさを説き、兼好法師の『徒然草』は広い見識と鋭い観察眼による名作として知られています。
戦いを題材に武士の活躍を描いた軍記物語もこの時代の大きな特色です。平氏の興亡を主題とした『平家物語』は、琵琶法師によって語られたことで文字を読めない人々にも広く親しまれました。
天台座主の慈円は『愚管抄』で道理による歴史の解釈を試み、幕府の歴史を編年体で記した『吾妻鏡』も編まれました。北条氏一門の金沢実時は鎌倉の外港六浦の金沢に金沢文庫を設け、和漢の書物を集めて学問に励みました。また宋から伝えられた宋学(朱子学)は、後醍醐天皇の討幕運動の理論的なよりどころともなりました。
和歌:『新古今和歌集』(藤原定家ら)、『金槐和歌集』(源実朝)
随筆:『方丈記』(鴨長明)、『徒然草』(兼好法師)
軍記物語:『平家物語』(琵琶法師が語る)
歴史:『愚管抄』(慈円)、『吾妻鏡』(幕府の歴史書)
学問施設:金沢文庫(金沢実時)
絵画では、平安時代末期に始まった絵巻物が盛んにつくられました。武士の戦いを描いた『蒙古襲来絵詞』、寺社の縁起を描いた『春日権現験記絵』、高僧の伝記を描いた『一遍上人絵伝』などが代表的です。
個人の肖像を描く写実的な似絵には、藤原隆信・信実父子の名手が出ました。禅宗の僧侶が師の肖像画(頂相)を尊崇する風習も中国から伝わりました。
工芸では武士の成長とともに武具の制作が盛んになり、刀剣では備前の長光、京都の藤四郎吉光、鎌倉の正宗らが名作を残しました。陶器では宋・元の技術を受けて瀬戸焼がつくられ始め、常滑焼・備前焼なども発展しました。
絵巻物:『蒙古襲来絵詞』『春日権現験記絵』『一遍上人絵伝』
似絵:藤原隆信・信実父子。写実的な肖像画
頂相:禅宗の師の肖像画。中国から伝来
陶器:瀬戸焼(宋の技術の影響)、常滑焼、備前焼
鎌倉文化は、武士の質実な気風と宋・元文化の影響を受けて、力強い写実性と内面的な信仰を特色としています。鎌倉新仏教は庶民にも門戸を開き、その教団はのちの室町時代にさらに発展していきます。
鎌倉時代には法然・親鸞・日蓮らが庶民にも開かれた新仏教を説き、栄西・道元が禅宗を伝えた。建築では大仏様・禅宗様、彫刻では運慶らの写実的作品が生まれ、文学では『平家物語』や『新古今和歌集』が花開いた。
Q1. 専修念仏を説き、浄土宗の開祖と仰がれた僧は誰か。
Q2. 悪人正機を説き、浄土真宗を開いた僧は誰か。
Q3. 題目(南無妙法蓮華経)をとなえることで救われると説いた僧は誰か。
Q4. 只管打坐を説き、越前に永平寺を開いた僧は誰か。
Q5. 東大寺再建に導入された、雄大で力強い建築様式を何というか。
Q6. 東大寺南大門の金剛力士像をつくった仏師を2人挙げよ。
Q7. 平氏の興亡を描き、琵琶法師によって語られた軍記物語は何か。
鎌倉新仏教のうち浄土系の3宗派(浄土宗・浄土真宗・時宗)について、開祖・教えの特色・信者層をそれぞれ述べよ。
浄土宗:開祖は法然。南無阿弥陀仏の念仏をとなえれば極楽浄土に往生できる(専修念仏)と説いた。公家から武士・庶民まで広く信仰された。
浄土真宗:開祖は親鸞。煩悩の深い悪人こそ阿弥陀仏の救いの対象であるとする悪人正機を説いた。農民や地方武士に広まった。
時宗:開祖は一遍。善悪や信心の有無を問わずすべての人が救われると説き、踊念仏で各地を布教して歩いた。地方の武士や庶民に受け入れられた。
鎌倉時代の建築に見られる大仏様・禅宗様・折衷様の3つの様式の特徴と代表的建造物を述べよ。
大仏様(天竺様):重源が東大寺再建に際して導入。大陸的な雄大さと力強さが特徴。代表作は東大寺南大門。
禅宗様(唐様):禅宗寺院に用いられた。細かな部材を組み合わせた整然とした美しさが特徴。代表作は円覚寺舎利殿。
折衷様:平安時代以来の和様に大仏様・禅宗様の技法を取り入れた様式。日本的な柔らかさに大陸の構造技法を融合させた。
鎌倉新仏教に共通する特色を、旧仏教との比較において述べよ。
旧仏教(天台宗・真言宗など)が戒律や学問を中心とし、加持祈禱によって主に皇族や貴族の支持を集めたのに対し、鎌倉新仏教は天台・真言をはじめ旧仏教の腐敗を批判し、選びとられたただ1つの道(念仏・題目・坐禅)によってのみ救いにあずかることができると説いた。これによって武士や庶民にも広く門戸を開き、内面的な信仰を重視した点が共通する特色である。のちに教団のかたちをとって継承された。