中央集権的な律令国家が整った奈良時代には、全国の富が中央に集められ、平城京を中心に高度な貴族文化が花開きました。
遣唐使がもたらす唐の先進文化の影響を強く受けた国際色豊かなこの文化を、聖武天皇の時代の年号をとって天平文化と呼びます。
国史の編纂、万葉集の成立、鎮護国家の仏教、そして正倉院宝物に象徴される国際性を見ていきましょう。
中央集権的な国家体制が整った奈良時代には、全国の富が中央に集められ、平城京を中心として高度な貴族文化が花開きました。この時代の文化を、聖武天皇の時代の年号をとって天平文化といいます。
当時の貴族は、遣唐使などによってもたらされる唐の進んだ文化を重んじたため、天平文化は外来文化の影響を強く受けた国際色豊かな文化となりました。貴族たちは唐風の衣服を着て、唐風の宮殿で政治や儀式を行い、詔勅をはじめ公文書を漢文で書きました。
①聖武天皇の時代の年号「天平」にちなむ
②遣唐使を通じた唐文化の影響を強く受けた国際色豊かな文化
③全国の富が集中した平城京を中心とする貴族文化
④鎮護国家の思想に支えられた仏教が文化の中心
律令国家の確立にともなう国家意識の高まりを反映して、政府の立場から統治の由来や国家の形成・発展の経緯を示すために、中国にならって国史の編纂がおこなわれました。
天武天皇の時代に始められた国史編纂事業は、奈良時代に『古事記』と『日本書紀』として完成しました。712(和銅5)年にできた『古事記』は、宮廷に伝わる「帝紀」「旧辞」にもとづいて天武天皇が稗田阿礼によみならわせた内容を、太安万侶が筆録したもので、神話・伝承から推古天皇に至るまでの歴史を、漢字の音・訓を用いた日本語文で記しています。
720(養老4)年にできた『日本書紀』は、舎人親王が中心となって編纂したもので、中国の歴史書の体裁をふまえた漢文の編年体で書かれています。「帝紀」「旧辞」や各種の記録をもとに、神代から持統天皇に至るまでの神話・伝承・歴史が天皇中心に記されました。
古事記(712年):稗田阿礼が誦習、太安万侶が筆録。漢字の音訓を用いた日本語文。神話〜推古天皇
日本書紀(720年):舎人親王が中心に編纂。漢文の編年体。神代〜持統天皇
※『日本書紀』以後も朝廷による歴史書編纂は続き、計6つの漢文正史を六国史と総称する
歴史書とともに地誌の編纂もおこなわれ、郷土の産物、地名の由来、古老の伝承などを筆録させる713(和銅6)年の命令によって、国ごとに『風土記』がつくられました。常陸・出雲・播磨・肥前・豊後の5か国の風土記がまとまった形で現在に伝わっており、とくに『出雲国風土記』がほぼ完全に残っています。
貴族や官人には漢詩文の教養が必要とされ、751(天平勝宝3)年に大友皇子・大津皇子・長屋王ら7世紀後半以来の漢詩をまとめて、現存最古の漢詩集『懐風藻』が編まれました。8世紀半ばからの漢詩文の文人としては、淡海三船や石上宅嗣らが知られています。
石上宅嗣は自分の邸宅を寺にして、仏典以外の書物も所蔵する図書館のような施設をおき、「芸亭」と名づけました。日本最初の公開図書館的な施設として知られています。
日本古来の和歌も、天皇から民衆に至るまで、さまざまな階層の人々によってよまれました。『万葉集』は759(天平宝字3)年までの歌約4500首を収録した歌集で、宮廷の歌人や貴族の歌だけでなく、東国の民衆がよんだ東歌や防人歌なども含まれています。心情を率直に表しており、人の心に強く訴える歌が多くみられます。
歌人としては、柿本人麻呂、山上憶良、山部赤人、大伴家持・大伴坂上郎女らが名高く、編者は大伴家持ともいわれますが未詳です。
古事記(712年):太安万侶が筆録した日本語文の歴史書
日本書紀(720年):舎人親王が中心。漢文編年体の歴史書
風土記(713年〜):諸国の地理・産物・伝承の報告書
懐風藻(751年):現存最古の漢詩集
万葉集(〜759年):約4500首。東歌・防人歌も収録
教育機関としては、官人養成のために中央に大学、地方では国ごとに国学がおかれました。大学には貴族の子弟や朝廷に文筆で仕えてきた氏族の子弟、国学には郡司の子弟らが優先的に入学しました。
大学の教科は、儒教の経典を学ぶ明経道、律令などの法律を学ぶ明法道、算術・書・音などの諸道があり、のち9世紀には漢文・歴史を学ぶ紀伝道が生まれました。ほかに、陰陽・暦・天文・医などの諸学が各役所で教授されました。
学生は大学の教科を修了し、さらに試験に合格して、はじめて官人になることができました。
大学:中央に設置。貴族の子弟が入学。明経道・明法道など
国学:地方の国ごとに設置。郡司の子弟が入学
※いずれも官人養成が目的。重要な教科は儒学と律令
奈良時代には、国家の保護を受けて仏教がさらに発展しました。とくに仏教によって国家の安定をはかるという鎮護国家の思想は、この時代の仏教の性格をよく示しています。
奈良の大寺院では、インドや中国で生まれたさまざまな仏教理論の研究が進められ、三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の南都六宗と呼ばれる学派が形成されました。
当時の僧侶は宗教者であるばかりでなく、最新の文化を身につけた一流の知識人でもありました。玄昉のように聖武天皇に信任されて政界で活躍した僧もいました。
一方で、仏教は政府からきびしく統制を受け、一般に僧侶の活動も寺院内に限られていました。しかし行基のように、民衆への布教とともに用水施設や救済施設をつくる社会事業をおこない、国家から取り締まりを受けながらも多くの民衆に支持された僧もいました。のちに行基は大僧正に任ぜられ、大仏の造営に協力しました。
仏教保護政策のもとでの大寺院の壮大な伽藍や広大な寺領は、国家財政への大きな負担にもなりました。
日本への渡航にたびたび失敗しながら、ついに来日した唐の鑑真は、正式な僧侶となるのに必要な受戒の作法を伝え、のちに唐招提寺を開きました。受戒の場である戒壇は初め東大寺におかれましたが、761(天平宝字5)年に、九州の筑紫観世音寺と東国の下野薬師寺にも設けられました。
仏教が日本の社会に根づく過程では、現世利益を求める手段とされたほか、在来の祖先信仰と結びついて、祖先の霊をとむらうための仏像の造立や経典の書写などもおこなわれました。また、仏と神は本来同一であるとする神仏習合思想がおこりました。
①鎮護国家の思想 → 国分寺建立の詔(741年)、大仏造立の詔(743年)
②南都六宗:三論・成実・法相・倶舎・華厳・律
③行基:民衆への布教・社会事業。のち大僧正として大仏造営に協力
④鑑真:唐から戒律を伝え唐招提寺を開く。戒壇を東大寺に設置
⑤神仏習合思想のおこり
奈良時代には、宮廷や貴族の豊かな生活と仏教の発展に支えられ、多くのすぐれた美術作品がつくられました。建築では、寺院や宮殿に礎石・瓦を用いた壮大な建物が建てられました。唐招提寺講堂(もと平城宮の朝集殿)のほか、東大寺法華堂・唐招提寺金堂・正倉院宝庫などが代表的で、いずれも均整がとれて堂々としています。
彫刻では、表情豊かで調和のとれた仏像が多く、以前からの金銅像や木像のほかに、木を芯として粘土を塗り固めた塑像や、原型の上に麻布を幾重にも漆で塗り固め、あとで原型を抜きとる乾漆像の技法が発達しました。
東大寺法華堂には、乾漆像の不空羂索観音像を中心に、塑像の日光・月光菩薩像、執金剛神像など天平仏がまとまって伝わっています。また興福寺では、乾漆像の八部衆像(阿修羅像を含む)や十大弟子像などが知られます。
塑像:木を芯として粘土を塗り固めたもの(例:日光・月光菩薩像、執金剛神像)
乾漆像:原型の上に麻布を漆で塗り固め、原型を抜く技法(例:不空羂索観音像、阿修羅像)
※天平彫刻は唐の影響を受けた写実的で豊満な表現が特徴
絵画の作例は少ないですが、正倉院に伝わる鳥毛立女屛風の樹下美人図や、薬師寺に伝わる吉祥天像などが代表的で、唐の影響を受けた豊満で華麗な表現が特徴です。釈迦の前世と半生を描いた過去現在絵因果経にみられる絵画は、のちの絵巻物の源流といわれます。
工芸品としては、正倉院宝物が有名です。聖武太上天皇の死後、光明皇太后が遺愛の品々を東大寺に寄進したものを中心に、服飾・調度品・楽器・武具など多様な品々が含まれます。
螺鈿紫檀五弦琵琶・漆胡瓶・白瑠璃碗など、きわめてよく保存された優品が多く、唐ばかりでなく西アジアや南アジアとの交流を示すものがみられ、当時の宮廷生活の文化的水準の高さと国際性がうかがえます。
建築:東大寺法華堂、唐招提寺金堂、正倉院宝庫
彫刻:不空羂索観音像(乾漆)、日光・月光菩薩像(塑像)、阿修羅像(乾漆)
絵画:鳥毛立女屛風、吉祥天像、過去現在絵因果経
工芸:正倉院宝物(螺鈿紫檀五弦琵琶、漆胡瓶など)
天平文化は、律令国家の完成期にあたる奈良時代に、遣唐使を通じた大陸文化の吸収を背景に花開いた国際色豊かな文化です。鎮護国家の仏教は、次の平安時代には最澄・空海による天台宗・真言宗へと展開し、山岳修行や密教へと変化していきます。
遣唐使を通じて唐文化を吸収した天平文化は、古事記・日本書紀・万葉集などの文学、鎮護国家思想にもとづく国分寺・東大寺大仏の建立、塑像・乾漆像の技法、正倉院宝物に象徴される国際色豊かな貴族文化であった。
Q1. 712年に太安万侶が筆録した、日本語文で書かれた歴史書を何というか。
Q2. 720年に舎人親王が中心となって編纂した、漢文編年体の歴史書を何というか。
Q3. 751年に編まれた現存最古の漢詩集を何というか。
Q4. 約4500首を収録し、東歌や防人歌も含む和歌集を何というか。
Q5. 仏教によって国家の安定をはかるという奈良時代の仏教の特徴的な思想を何というか。
Q6. 唐から戒律を伝え、のちに唐招提寺を開いた僧は誰か。
Q7. 木を芯として粘土を塗り固めた仏像の技法を何というか。
天平文化の代表的な文学作品を4つ挙げ、それぞれの特徴を簡潔に述べよ。
①古事記(712年):稗田阿礼が誦習し太安万侶が筆録。漢字の音訓を用いた日本語文で、神話から推古天皇までを記す。
②日本書紀(720年):舎人親王が中心に編纂。漢文の編年体で、神代から持統天皇までを記す。
③懐風藻(751年):現存最古の漢詩集。大友皇子・大津皇子ら7世紀後半以来の漢詩を収録。
④万葉集(〜759年):約4500首を収録。天皇から民衆まで幅広い階層の和歌を含み、東歌や防人歌もある。
奈良時代の仏教の特色を「鎮護国家」の語を用いて説明し、その具体例を2つ挙げよ。
奈良時代の仏教は、仏教の力によって国家の安定をはかるという鎮護国家の思想を特色とした。
具体例:①741年に聖武天皇が国分寺建立の詔を出し、全国に国分寺・国分尼寺を建立させた。②743年に大仏造立の詔を出し、東大寺に盧舎那仏を造立して752年に開眼供養をおこなった。
鎮護国家の思想にもとづく仏教保護政策は、大寺院の壮大な伽藍や広大な寺領という形で実現しましたが、同時に国家財政への大きな負担ともなりました。この矛盾が、のちの桓武天皇による平安遷都と新しい仏教(天台宗・真言宗)の採用へとつながっていきます。
天平彫刻における塑像と乾漆像の技法の違いを述べたうえで、それぞれの代表的な作品を1つずつ挙げよ。
塑像は、木を芯として粘土を塗り固めてつくる技法である。代表例は東大寺法華堂の日光・月光菩薩像。
乾漆像は、原型の上に麻布を幾重にも漆で塗り固め、あとで原型を抜きとる技法である。代表例は東大寺法華堂の不空羂索観音像(または興福寺の阿修羅像)。
天平彫刻は、以前からの金銅像や木像に加えて塑像・乾漆像という新たな技法を発達させました。唐の影響を受けた写実的で豊満な表現が特徴で、表情豊かで調和のとれた仏像が多くつくられました。