第16章 占領下の日本

占領と改革
─ GHQの占領政策と日本の民主化

敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令のもと、非軍事化と民主化が進められました。
軍隊の解体、戦犯裁判、財閥解体、農地改革、労働改革など広範な改革が実施されました。
日本国憲法が制定され、主権在民・平和主義・基本的人権の尊重を三原則とする新しい国家体制が生まれました。

占領の開始と非軍事化

日本はポツダム宣言にもとづいて連合国に占領されました。マッカーサー元帥を最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令にもとづいて日本政府が政治をおこなう間接統治の方法がとられました。実質的にはアメリカの単独占領でした。

当初の占領目標は、非軍事化民主化を通じて日本が再び脅威となるのを防ぐことでした。陸海軍の将兵約789万人の武装解除・復員が進み、日本の軍隊は解体・消滅しました。戦争指導者たちは逮捕され、28人が「平和に対する罪」でA級戦犯として起訴され、極東国際軍事裁判東京裁判)で裁かれました。

1945(昭和20)年10月、マッカーサーは幣原喜重郎首相に対して、女性参政権の付与、労働組合の結成奨励、教育制度の自由主義的改革、秘密警察などの廃止、経済機構の民主化のいわゆる五大改革指令を口頭で指示しました。GHQは治安維持法や特別高等警察の廃止、政治犯の釈放を指令し(人権指令)、さらに政府による神社・神道への支援・監督を禁じる神道指令を発して、戦時期の軍国主義・天皇崇拝の思想的基盤となった国家神道を解体しました。また、戦争犯罪人・軍人・超国家主義者ら約21万人の公職追放を指令しました。

経済の民主化

GHQは財閥と寄生地主制が軍国主義の温床になったとみて、その解体を民主化の中心課題としました。1945(昭和20)年、まず三井・三菱・住友・安田の4大財閥の解体が命じられました(財閥解体)。1947年には持株会社やカルテルを禁止する独占禁止法が制定され、過度経済力集中排除法も制定されました。

農地改革では、GHQの勧告にもとづいて第2次農地改革が実施されました。不在地主の全貸付地と在村地主の一定面積をこえる貸付地を国が強制的に買い上げ、小作人に安く売り渡しました。全農地の半分近くを占めていた小作地が1割程度にまで減少し、農家の大半が自作農となりました。

労働改革では、1945年に労働組合法が制定され、労働者の団結権・団体交渉権・争議権が保障されました。さらに労働関係調整法労働基準法が制定され(労働三法)、労働省が設置されました。

ここが問われる: 占領期の三大改革 列挙

財閥解体:4大財閥解体、独占禁止法、過度経済力集中排除法
農地改革:不在地主の全貸付地を国が買い上げ、小作人に売却→自作農創出
労働改革:労働三法(労働組合法・労働関係調整法・労働基準法)の制定

日本国憲法の制定

1945年10月、GHQは幣原内閣に憲法改正を指示しました。政府の憲法問題調査委員会が作成した改正案は天皇の統治権を認める保守的なものだったため、GHQはみずから改正草案(マッカーサー草案)を作成して日本政府に提示しました。

政府はこれにもとづいて政府原案を発表し、帝国議会で修正可決されたのち、日本国憲法として1946(昭和21)年11月3日に公布、翌1947年5月3日から施行されました。

新憲法は、主権在民平和主義基本的人権の尊重の3原則を明らかにしました。天皇は政治的権力をもたない「日本国民統合の象徴」となりました(象徴天皇制)。第9条で戦争を放棄し、戦力を保持しないと定めました。民法が改正されて家制度の戸主権が廃止され、男女同権が定められました。

教育改革と政党政治の復活

GHQは軍国主義的な教員の追放と教科書の不適当な記述の削除を指示しました。1947年に教育基本法が制定され、教育の機会均等・男女共学の原則がうたわれ、義務教育が6年から9年に延長されました。6・3・3・4制の新学制が発足しました。

政党も復活し、1945年10月には日本共産党が合法政党として活動を開始し、11月には日本社会党日本自由党日本進歩党が結成されました。12月には女性参政権を認めた新選挙法が制定され、1946年4月の戦後初の総選挙では39人の女性議員が誕生しました。

1946年5月、吉田茂が第1次吉田内閣を組織しました。1947年の総選挙では日本社会党が第一党となり、片山哲が社会党初の首相となりましたが、短命に終わりました。

敗戦後の国民生活

戦争によって国民の生活は徹底的に破壊されました。鉱工業生産額は戦前の3分の1以下にまで落ち込み、海外からの復員・引揚げで人口はふくれ上がり、失業者も急増しました。食料不足は深刻で、配給の遅配・欠配が続き、都市民は農村への買出し闇市での購入でしのぎました。

極度の物不足と通貨増発によって猛烈なインフレーションが発生しました。政府は金融緊急措置令で預金封鎖・新円切替を実施しましたが、効果は一時的でした。第1次吉田内閣は資材と資金を石炭・鉄鋼など重要産業に集中する傾斜生産方式を採用しましたが、インフレは収まりませんでした。

この記事のつながり

敗戦後のGHQによる占領下で、日本は非軍事化と民主化の広範な改革を経験しました。日本国憲法の制定により新しい国家体制が生まれましたが、冷戦の激化は占領政策の転換をもたらします。

  • ← 15-3 第二次世界大戦:敗戦がもたらした占領と改革の出発点
  • 非軍事化 → 民主化:軍隊解体・公職追放と新憲法制定が連動
  • 財閥解体・農地改革・労働改革:経済の民主化で社会構造が大きく変化
  • 日本国憲法 → 象徴天皇制:主権在民・平和主義・基本的人権の三原則
  • → 16-2 冷戦の開始と講和:占領政策の転換と独立回復へ

まとめ

  • GHQ間接統治のもと、非軍事化民主化が進められた
  • 東京裁判で戦争指導者が裁かれ、約21万人が公職追放された
  • 財閥解体農地改革労働三法で経済の民主化が図られた
  • 日本国憲法主権在民平和主義基本的人権の尊重の三原則が確立した
  • 教育基本法で義務教育9年・6・3・3・4制が発足した
  • 女性参政権が実現し、戦後初の総選挙で39人の女性議員が誕生した
  • 戦後のインフレと食料不足の中、傾斜生産方式で経済復興が図られた
この節を100字で要約すると

GHQの間接統治のもと、軍隊解体・東京裁判・公職追放で非軍事化が進み、財閥解体・農地改革・労働三法で経済が民主化された。日本国憲法が制定され、主権在民・平和主義を柱とする新しい国家体制が生まれた。

穴埋め・一問一答

Q1. 占領期の経済民主化の三大改革を答えよ。

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財閥解体農地改革労働改革(労働三法の制定)。

Q2. 日本国憲法の三大原則を答えよ。

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主権在民平和主義基本的人権の尊重

Q3. 農地改革の結果、小作地の割合はどのように変化したか。

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全農地の約46%を占めていた小作地が約10%にまで減少し、農家の大半が自作農となった。

Q4. 戦後初の総選挙で実現した画期的な出来事は何か。

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女性参政権が初めて認められ、39人の女性議員が誕生した。

Q5. 戦後のインフレ対策として吉田内閣が採用した、石炭・鉄鋼に資源を集中する方式を何というか。

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傾斜生産方式。復興金融金庫を創設して基幹産業への資金供給を開始した。

アウトプット演習

問1 A 基礎 説明

GHQによる占領期の民主化改革の内容を、経済・政治・教育の3分野から説明せよ。

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解答

経済面では、財閥解体で独占的企業支配が解消され、独占禁止法が制定された。農地改革で不在地主の全貸付地が国に買い上げられ小作人に安く売り渡されて自作農が創出された。労働三法で労働者の基本権が保障された。政治面では、日本国憲法が制定され、主権在民・平和主義・基本的人権の尊重の三原則が確立し、天皇は象徴的存在となった。女性参政権が認められ、公選による地方自治体の首長選出も始まった。教育面では、教育基本法にもとづき義務教育が9年に延長され、6・3・3・4制の新学制が発足し、男女共学の原則がうたわれた。