日本列島に最初の人類がやってきたのは、今から約3万8000年前のことです。
氷河時代の大陸と繋がった大地を歩いてきた人々は、やがて温暖化という劇的な環境変化のなかで、世界でも独特な文化を生み出していきます。
旧石器時代から縄文時代へ──この変化はなぜ起きたのか、何が変わったのかを見ていきましょう。
| 時期 | おもなできごと |
|---|---|
| 約3万8000年前 | 新人(ホモ・サピエンス)が日本列島に到達 |
| 約1万6000年前 | 世界最古級の土器が出現(縄文時代の始まり) |
| 約1万1500年前 | 更新世→完新世。温暖化が本格化、日本列島が大陸から分離 |
| 約7000年前 | 縄文海進(海面が現在より数m高い) |
| 約5500年前 | 三内丸山遺跡の最盛期(大規模集落) |
| 約2800〜2500年前 | 水稲農耕の伝来(弥生時代の始まり) |
地球上に人類が誕生したのは、今からおよそ700万年前のアフリカ大陸でのことです。 猿人・原人・旧人を経て、約30万〜25万年前に現代人と同じ新人(ホモ・サピエンス)が現れ、世界各地に広がっていきました。 山川 P.10 東京書籍 P.8
日本列島に人類が渡ってきたのは、約3万8000年前のことです。 当時は更新世(氷河時代)で、海面が現在より100m以上低く、日本列島はアジア大陸とほぼ陸続きでした。 ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物を追って、人々は大陸から日本列島に移り住んだと考えられています。 山川 P.11 東京書籍 P.8-9
戦前まで、日本に旧石器時代の遺跡は存在しないと考えられていました。しかし1946年、相沢忠洋が群馬県の岩宿遺跡で関東ローム層の中から打製石器を発見。1949年の学術調査で確認され、日本列島にも旧石器時代が存在したことが証明されました。現在、旧石器時代の遺跡は日本全国で1万か所以上が確認されています。
山川 P.12 東京書籍 P.9
旧石器時代の人々は、打製石器を使って狩猟と植物の採集をおこなっていました。 石器は時代とともに進化し、初期の大型石器から、ナイフ形石器や尖頭器へ、さらに末期には小型の細石器へと変化していきました。
この時代の特徴は、移動生活です。獲物や食料を求めて一定の範囲内を移動しながら、テント式の簡単な小屋や洞穴に住んでいました。1つの集団は10人前後の小規模なもので、まだ土器は使われていませんでした。 山川 P.12
| 石器の種類 | 時期 | 特徴 |
|---|---|---|
| ナイフ形石器 | 約3万8000年前〜 | 木の柄につけて使用。汎用的な道具 |
| 尖頭器 | 約2万年前〜 | 槍の先端に装着。大型動物の狩猟用 |
| 細石器 | 約1万5000年前〜 | 小型の石刃を木・骨の溝に埋め込む組合せ式 |
旧石器時代の末期、気候変動で大型動物が減少し、動きの速い中小動物を狩る必要が出てきました。細石器は刃こぼれした部分だけを取り替えられる「メンテナンス可能な道具」であり、効率的に小型の獲物を仕留めるための技術革新でした。道具の変化は環境変化への適応そのものであり、これが縄文時代への移行の伏線になります。
今からおよそ1万年前、最後の氷期が終わり、地球は急速に温暖化しました。 この変化が日本列島の自然と人々の暮らしを根本から変え、縄文文化が成立します。
温暖化によって、日本列島の自然環境は劇的に変わりました。 東日本にはブナやナラなどの落葉広葉樹林が、西日本にはシイなどの照葉樹林が広がりました。 海面が上昇し(縄文海進)、約7000年前には現在より数メートル高くなり、複雑な海岸線が生まれました。 山川 P.13
縄文文化を特徴づける3つの新しい道具があります。 これらはいずれも、環境変化への適応から生まれたものです。
| 新しい道具 | なぜ必要になったか | 何が変わったか |
|---|---|---|
| 土器 | 木の実のアク抜き・煮炊きが必要になった | 食べられる食料の種類が大幅に増加。老人や幼児も栄養をとりやすくなった |
| 弓矢 | 動きの速い中小動物を遠距離から仕留める必要 | 狩猟効率が飛躍的に向上 |
| 磨製石器 | 木の伐採・加工の需要(住居・丸木舟の製作) | 竪穴住居や丸木舟をつくれるように → 定住と漁労が可能に |
縄文土器は約1万6000年前に出現しており、世界最古級の土器です。西アジアや中国よりも早い時期に土器が生まれた可能性があり、日本列島の人々が環境変化にいち早く適応した証拠といえます。ただし、ユーラシア大陸の新石器文化が農耕・牧畜を伴うのに対し、縄文文化は基本的に採集・狩猟文化である点に注意が必要です。
山川 P.13 東京書籍 P.10
食料が安定して確保できるようになると、人々は竪穴住居に住み、定住生活を始めました。 竪穴住居は地面を掘りくぼめてつくった半地下式の住居で、中央に石を組んだ炉があり、その周囲に柱を立てて屋根をかけたものです。 山川 P.14
集落は数軒〜数十軒の竪穴住居で構成され、広場や貯蔵穴、墓地がその周囲に配置される構造をとっていました。 青森県の三内丸山遺跡は約5500年前の大規模集落で、大型掘立柱建物や大量の土器・石器が出土し、縄文社会の高度さを示しています。
縄文人は四季の変化を利用して、多様な食料を計画的に獲得していました。
| 季節 | おもな食料 | 方法 |
|---|---|---|
| 春 | 山菜、貝類 | 採集、貝塚に残る大量の貝殻が証拠 |
| 夏 | 魚(サケ・マスなど) | 丸木舟で沖合漁、釣り針・銛で漁労 |
| 秋 | クリ・クルミ・ドングリ・トチの実 | 採集・貯蔵。アク抜きに土器を使用 |
| 冬 | シカ・イノシシ | 弓矢、落とし穴による狩猟 |
貝塚は縄文人の「ゴミ捨て場」ですが、貝殻のほかに獣の骨や魚の骨、壊れた土器なども含まれており、当時の食生活を知る貴重な資料です。 東京都の大森貝塚は、1877年にアメリカ人のモースが発見し、日本考古学の出発点となりました。 山川 P.14-15
最近の研究では、縄文人がクリ林を管理・増殖し、ダイズやエゴマなどの栽培もおこなっていた可能性が指摘されています。ただしこれは本格的な農耕(水稲農耕のような大規模な食料生産)とは異なり、「半栽培」や「管理された採集」と呼ぶべきものです。縄文文化を単純な「狩猟採集文化」と見るのは正確ではなく、自然を積極的に管理していた面もあったことを押さえておきましょう。
山川 P.13
縄文人は自然の中のあらゆるものに霊が宿ると信じるアニミズム(精霊信仰)の世界観をもっていたと考えられています。 その精神世界は、さまざまな遺物から推測することができます。
山川 P.15-16 東京書籍 P.12
縄文人は想像以上に広い範囲で交易をおこなっていました。 黒曜石(北海道白滝、長野県和田峠、東京都神津島など産地が限定)が数百キロ離れた遺跡から出土する例があり、長距離の交易ネットワークの存在を示しています。 また、新潟県産のヒスイ(翡翠)が各地の遺跡から出土しており、装飾品としての広域流通があったことがわかります。 山川 P.16
黒曜石やヒスイの産地は限られています。一方、定住生活が始まると特定の地域に根づいた集団が増え、自分の住む場所では手に入らない資源を他の集団から入手する必要が生じました。定住は交易を生み、交易は集団間の関係を複雑にしていったのです。
ここでは教科書の内容を複数の「切り口」から整理し直します。教科書は時系列で書かれていますが、別の角度から見ることで理解が深まります。タップして答えを確認してみましょう。
| 旧石器時代 | 縄文時代 | |
|---|---|---|
| 時期 | 約3万8000年前〜約1万6000年前 | 約1万6000年前〜約2800年前 |
| 地質年代 | 更新世(氷河時代) | 完新世 |
| 気候 | 寒冷(氷期と間氷期の繰り返し) | 温暖 |
| 地形 | 大陸と陸続き | 海で分離された島嶼 |
| 植生 | 針葉樹林 | 落葉広葉樹林(東日本)/ 照葉樹林(西日本) |
| おもな動物 | ナウマンゾウ、オオツノジカ(大型) | シカ、イノシシ(中小型) |
| 石器 | 打製石器のみ | 打製石器+磨製石器 |
| 土器 | なし | 縄文土器 |
| 住居 | テント式小屋・洞穴(移動生活) | 竪穴住居(定住生活) |
| 集団規模 | 10人前後 | 数十〜数百人(大規模集落あり) |
| おもな食料獲得 | 狩猟・採集 | 狩猟・採集・漁労(+半栽培) |
①更新世(氷期)に海面が現在より100m以上低下していた
②日本列島がアジア大陸とほぼ陸続きであった
①大型動物が絶滅し、中小動物の狩猟に弓矢が使われるようになった
②落葉広葉樹林が広がり、木の実の採集が食料の柱となった
③土器の使用により煮炊き・アク抜きが可能になり食料の幅が広がった
④食料の安定確保により定住生活が始まった
①ユーラシアの新石器文化は農耕・牧畜を伴うが、縄文文化は基本的に採集・狩猟文化である
②日本列島では四季の変化に応じた多様な食料(木の実・魚介類・獣肉)が豊富に得られたため、農耕に移行する必然性が低かった
①縄文土器の使用
②弓矢による狩猟
③磨製石器の使用
④竪穴住居での定住生活
⑤アニミズム(精霊信仰)を背景とする精神文化(土偶・屈葬・抜歯など)
旧石器時代から縄文時代への転換を学びました。次の記事で学ぶ弥生文化は、この縄文文化を基盤にしつつ、大陸からの水稲農耕の導入という新たな変化によって成立します。
この時代は「歴史総合」の範囲には含まれませんが、縄文人の自然との共生のあり方は、歴史総合で学ぶ近現代の環境問題(SDGs・持続可能な開発)を考えるヒントになります。約1万年以上持続した縄文文化は、「持続可能な社会」の一つのモデルとして注目されています。
氷河時代に大陸から渡来した人々は打製石器で狩猟生活を送り(旧石器時代)、約1万年前の温暖化を機に土器・弓矢・磨製石器を用いた定住的な採集文化(縄文文化)を発展させ、独自の精神文化と広域交易網を築いた。
Q1. 1949年、群馬県の( )遺跡の発掘調査により、日本にも旧石器時代が存在したことが証明された。
Q2. 旧石器時代に使われていた石器は( )石器で、縄文時代になると新たに( )石器も使われるようになった。
Q3. 縄文人が住んでいた、地面を掘りくぼめてつくった住居を何というか。
Q4. 自然のあらゆるものに霊が宿ると考える信仰を何というか。
Q5. 縄文人の広域交易の証拠となる、産地が限定される火山ガラスの一種を何というか。
旧石器時代から縄文時代への移行を引き起こした環境変化とそれに伴う変化を4つ述べよ。
①最後の氷期が終わって気候が温暖化した
②海面上昇により日本列島が大陸から分離した
③大型動物(ナウマンゾウなど)が絶滅し、中小動物(シカ・イノシシ)が繁殖した
④落葉広葉樹林が広がり、木の実などの植物性食料が豊富になった
この問題は「環境変化→生活の変化」という因果関係で整理すると答えやすい。①②が地球規模の変化、③④がその結果としての日本列島の自然環境の変化です。これらの変化に対応して、土器・弓矢・磨製石器という新しい道具が生まれ、定住生活が始まりました。
旧石器時代と縄文時代の生活について、以下の5つの観点から比較せよ。
(1)使用した石器 (2)住居 (3)食料獲得の方法 (4)集団の規模 (5)土器の有無
(1)旧石器時代:打製石器のみ / 縄文時代:打製石器+磨製石器
(2)旧石器時代:テント式小屋・洞穴(移動生活) / 縄文時代:竪穴住居(定住生活)
(3)旧石器時代:狩猟・採集 / 縄文時代:狩猟・採集・漁労(+半栽培)
(4)旧石器時代:10人前後 / 縄文時代:数十〜数百人
(5)旧石器時代:なし / 縄文時代:縄文土器
縄文文化は磨製石器を用いているにもかかわらず、ユーラシア大陸の新石器文化とは性格が異なるとされている。その違いと、日本列島でそのような文化が形成された背景を述べよ。(3要素)
①ユーラシア大陸の新石器文化は農耕・牧畜を伴う農耕文化であるのに対し、縄文文化は基本的に採集・狩猟文化である
②日本列島では温暖湿潤な気候と四季の変化により、木の実・魚介類・獣肉など多様な食料が豊富に得られた
③そのため、農耕に依存しなくても安定した食料確保と定住生活が可能であった
この問題は「なぜ日本では農耕文化が自然発生しなかったのか」という問いです。大陸の乾燥地帯では食料確保のために農耕が不可欠でしたが、日本列島は自然の恵みが豊かだったため、採集・狩猟のまま約1万年間も持続可能な社会を維持できました。弥生時代に農耕が導入されるのは、大陸からの渡来人による伝播が契機です。